mokomokorabitsの日記

ハイヒールやフレアスカートが似合う女性を目指したい

就職活動を終えて 所感

 私はこの春、就活生だった。21年卒新卒採用。1年後から働く会社を見つけるための就職活動。

 就活のことについてちゃんと記録を、考えたことを文章に残しておきたくて書き始めたのだけど、うまく整理して組み立てられる自信がない。でも、私が1年前から就活を終えるまでずっと不安だったことを、恐らく人生の大きな岐路のうちのひとつである会社選びをした過程を残しておきたいなと思った。とても長くなってしまう予感がしている。

 

 まずは、終えてみて率直な感想。意外とあっさり、え、いいの?っていう感じのあっけなさだった。私が内々定をもらい、承諾し、来年から働く予定の会社は、私の中でもかなり志望度の高い会社だった。だからもちろんうれしかった。しかし、今年は新型コロナの影響で最終面接もWEBで、恐らく例年よりも先行回数も少なく、私が受けていた大体の会社は最終面接含めて面接は2回で終わった。ありがたいことに違いはないが、お互いじっくり向き合うような時間はなかった(少なくとも私はそう感じている)。

 早めに終われてよかったけれど、本当にこの会社でいいのか、自分に合っているのか、少し不安はある。でも、それは考え出したらキリのない問いで、就職先がどんなに評判のいい企業であろうとそうでなかろうと、結局は働いてみないと分からないことだ。

 

 自分の就職活動を振り返ってみる。

 

 就職活動、というものを真面目に考え始めた、というより、いよいよ目を反らせなくなったのは1年ほど前だろう。去年の4月、私はまず、教育実習に行くかどうか、つまりは教員免許をとるかどうかで悩んだ。実習に必要な教職の単位は取っていたし、教育学部の授業には興味深いものや楽しいものもあったけど、本気で教員になりたいわけではなかったので、教員の選択肢はそのときに捨てた。

 そして次は、公務員講座を受けるかどうかで悩んだ。公務員という仕事に魅力を感じたわけではないが、安定感や知り合いの先輩が多く受講していること、“勉強すればなんとかなる”側面が強いこと、とりあえずやるべきことが明確という点で、迷った。何をすればいいのかがわかりやすい(この場合は勉強)というのはある意味でとても有難いことだ。しかし、学内の公務員講座は平日毎日、授業後18時半から始まり、21時過ぎに終わる。夏休みもほぼ毎日。そんなに勉強をする覚悟が決められなかった私は、結局、公務員の勉強をする道も選ばなかった。その時点で、就職について考えるのを1番先延ばしにできる選択が、普通に民間企業で就活をして就職をすることだった。

 

 その後、秋口までは、市内でリクナビマイナビといった会社が主催するイベントやセミナー、大学内でキャリアセンターが主催している就活講座のようなものにはとりあえず足を運んだり、とりあえず何かしなければという焦燥感から近場の1dayインターンに行ったりしていた。

 こういったイベントに一緒に参加していた友達と毎回のように交わしていた会話は、「ずっと学生でいたい、働きたくない」「どこでもいいから就職したい」「どこか雇ってくれないかな」…情けないけど、でもきっと就活をする学生の大半はこんな思いなんじゃないだろうか。ほとんどの人は学生のままでいたくて、でもそうは言ってられなくて、文系で大学院に進んでも将来性がないし、嫌でも就職して働くしかない。自分のためにも、親のためにも、世間体のためにも。

 うだうだしながらもとりあえず志望業界を絞り始めたのが11月ごろ。年が明ける少し前から大学のキャリアセンターに通うようになり、自己PRやがくちかの添削をしてもらい、年が明けて1月下旬ごろから選考の早い会社はぼちぼち説明会が始まっていた、気がする。

 

 自分としてはうだうだしていたが、客観的に、例えば大学内文系の同じ就活生の中で、就活の準備を始めるのは早い方だったように思う。結果的に早くに就活を終わらせることができたのには少なからず、準備を早めに始めていたことが関係している(と、思いたい)。

 よく、就活対策のセミナーや本で「就活の進め方」を時系列に沿って示している図を見かけた。大学二年から企業研究、業界研究を進め、自己分析も並行してやりながら、大学3年の夏から秋にはインターンやOB 訪問。

自分が経験してみて、わかった。あんなものは理想の理想だ。本当に意識の高い人はやっているのかもしれないけど、少なくとも私の周りにあの図で示されたような就活の進め方ができている人は一人もいなかったと思う。自己分析なんて真面目にやってる人に出会ったことがない。嫌なことはずるずる先延ばしにして、結局目前に迫って初めて手を付けるのが大半の学生だ。

 

 朝井リョウの『何者』という小説がある。有名なので知っている人も多いだろう。私は大学1年のときにこの本を読んで、いつか自分が経験するであろう就活が恐ろしくなった。実際終わってから振り返ると、その話の中に出てきたような奇抜なESも、気をすり減らすグループディスカッションも、私はほとんど経験しなかったのでラッキーだったのだろう。

でも、主人公が言っていた、就活においてつらいのは、そんなに大したものでもない自分を、大したもののように話し続けなければならないことだ、という考えにはとても共感できる。自分が大した人間ではないなんてこと自分が一番わかっているのに。面接で自己PRをしゃべりながら、すみませんと謝りたくなるあの後ろめたさはなかなか慣れるものではない。

そして、小説の終盤に主人公の友達が漏らした、「俺って、ただ就活が得意なだけだったんだ」という言葉も。就活をする期間よりも、この先その会社に入って働く時間のほうが何十倍も何百倍も長いのに、メインは入社してからなのに、就活のなかで、どれくらいの規模の会社に、いくつ、いかに早く、内定をもらえたか、そのことが何より重大になってしまっている。

 

 私は、自分で言うのもなんだけれど、それなりの規模の、それなりに給料も待遇もいい会社に、GW前に内定をもらえた。就活が終わったことを報告した友達や知り合いには、「早いね」「すごいね」と言われ、全国転勤ありの総合職であることを言うと重ねて「すごい」と言われる。初任給を訊かれて答えると、「めっちゃいいじゃん!」と驚かれる。

 でも、違う。私がすごいわけでも優秀なわけでもない。

 これは、本当に言い切れる。

 

 就活を経験して、就活の何が大変なのか、私なりに分かったことがある。

 同じような募集枠に、同じような属性の学生が集まるから大変なんだと思う。商社とか、金融とか。

 私が内定をもらったのは、建設会社、いわゆるゼネコンの事務系総合職。事務といってもいわゆる一般職のイメージとは違い、基本給や福利厚生は技術職の人と同じ。条件は結構いいのに、特に文系の学生の中では知名度の低い業界なので、おそらく倍率も低い。志望動機をちゃんと説得力をもって話すことができれば、たいてい、会社の人は「知名度の低い建設業に、文系なのに興味を持ってくれてありがとう」というスタンスで対応してくれる。つまり、言い方は悪いが「穴場」なのだ。だからこんな私でも、業界内でそれなりの大手の会社に内定をもらうことができた。

もちろん、ゼネコンという業界に魅力を感じたのは本当だ。文系の私では専門的な知識は及ばないけれど、施工以外のすべての面で現場を支える仕事。純粋に、スケールの大きいものづくりにも惹かれた。実際のところは働いてみないとわからないけど、いい場所を見つけられたと思っている。就活の結果に不満はない。

 

私がゼネコンに興味を持ったのは親が同業であることと、部活の先輩が同じくゼネコンから内定をもらっていて、その人と就活の話をする機会があったからだ。自分一人では知ることのなかった業界だったと思う。そして、ゼネコンといわれる業界は総じて選考が早い。今年はコロナの影響もあり余計に、かもしれない。

 

 つまり、私の就活の結果は、ほぼ私の能力に依るものではない。面接で訊かれたことに対して答える最低限のキャッチボールと、緊張する場面でもにこにこできる愛想の良さ。そこに、たまたま「穴場」な業界を見つけ、それが自分のやりたいこととマッチして、その業界の選考が早かったといういくつものラッキーが重なった結果だ。運も実力のうちという考え方もあるだろうが、少なくとも、自分の能力や人柄の魅力で内定を掴みとった、という手ごたえは乏しい。ラッキーだったな、という感覚のほうがよっぽど的を射ている。決して私の能力が高いわけでもなければ、仕事での活躍を保証されているわけでもない。本当に大事なのは、本番は、入社後だ。内定をもらってゴールじゃない。その実感が日増しに強くなって、だんだんと私の中で不安に変わってきている。

 

 そして、もう一つ。

 就活の間、私のモチベーションを支えてくれたのは、ある一人の先輩だった。

 うだうだしながらも、憂鬱に思いながらも、私が平均的な学生より少しだけ早く就活の準備を進められたのは、その先輩が私を正しく焦らせてくれていたからだ。その先輩自身がきちんと就活の準備を早め早めにしていたことを知り、私もちゃんとしなきゃと思えたからだ。忙しい中で丁寧に就活の相談に乗ってくれたその先輩に、いい報告をしたいと、行きたいと思える会社に内定をもらえたことを報告したかったからだ。

 大きい会社に入りたいとか、自己実現とか、そういう大層な目的ではない。その先輩におめでとう、よかったねと言ってもらえるような、先輩が安心して、相談に乗ってよかったと思えるような報告をしたい。私を支えていたのはそんな気持ちだったと思う。定期的に大学に講演にくるリクナビマイナビの人、キャリアセンターのベテランの先生、そして両親。どんな人の言葉よりも、その先輩の言葉が私の中の指針だった。それが正しいことかはわからないけど、その先輩がいなかったら、私の就活の結果はきっと全然違っていた。いくら感謝してもし足りない。きっと私にはそんなふうに誰かを支えることはできない。だから、その先輩のことを本当に尊敬している。

 今年からもう社会人として働いている先輩に、無事に報告ができた。おめでとう、という言葉のあとに絵文字を二個も並べてくれた。その返信を見て、今まで就活にかけた時間が報われた気がした。人を動かすのは、人を尊敬する気持ちなのかもしれない、と知った。

 

 漠然と、ずっと不安だった就活だけど、終わってみればあっという間で、それも一応満足のいく形におさまってくれた。就活を通して自分を嫌いになるようなことはなくてよかった。

 友達のなかには、まだ就活を頑張っている子もいる。公務員志望の友達は今も毎日勉強している。みんな頑張れって、心から思っている。自分が早めに終わったから高みの見物、なんてつもりはない。本当に心から、みんな頑張れ、いい結果になりますようにと思っている。