mokomokorabitsの日記

ハイヒールやフレアスカートが似合う女性を目指したい

資格の勉強

私は建設業の事務として働いているのだけど、取得をすすめられる資格に

建設業経理士」というのがある。

 

簿記の内容を建設業に特化したような資格で、専門性は高いけど難易度そのものは簿記より低いと思う。

 

とりあえず口うるさく言われるのが2級までで、それは昨年の9月に取得できた。

もともと簿記3級を持っていたのでそれほど苦労はしなかった。

 

いま悩んでいるのは1級をとるかとらないか。

1級は全部で3科目あり、まとめても分けてでも受験可能だけど、5年以内に3科目すべて取得しないと1級合格とはならない。

毎年9月と3月に試験があって、今年の3月に1級のうち1科目を受験した。結果発表は来週だけど、手ごたえはあまりなかった。それなりに勉強時間を割いていたからショックだったけど、どう転ぼうが自己責任だから仕方がない。

 

ただ、受かっていたとしてもあと2科目、落ちていたらあと3科目勉強しないと1級はとれない。

あれほど会社に取得しろとうるさく言われる2級ですら、ふたを開ければ取得していない先輩社員も多い。1級なんて、いま所属している支店の中では3人しか持っていない。

そして、1級の内容なんて本社の財務部ぐらいにならないと役に立たないとも言われる。2級を持っていれば十分だと。

だから、迷う。

まだ2年目だし、この業界で一生働く覚悟はできていない。辞めようとまでは思わなくても既に嫌な部分もたくさん見ているし、この会社で定年まで、はあまり明るい未来とは思えない。ある程度異動の希望は通るみたいだけど、この先、経理系の部署で仕事を極めたいと思うほど経理の仕事をまだ知らない。実際役に立つのかわからない資格のために、貴重な休日の時間を費やすのか。

別に、私が1級を取得しなくても誰も何も変わらない。

ただ、職種の違う同期の子が、休日に予備校へ通って1級建築士の資格をとるために勉強しているのをみると、やはり自分も何か勉強しなくてはと思う。技術系の社員がその分野で1級と呼ばれる知識を身につけるのであれば、事務系の私だって然るべき分野の1級をとるために励むべきだとも思う。

 

悩む理由は、自分の中の自信と劣等感も関係している。

それなりに勉強するルートをたどってここまで来たから、勉強そのものに苦手意識があるわけじゃない。上も見ても下を見てもキリはないけど、しっかり勉強時間を確保して正しい方法で勉強すれば、たぶん合格できる。楽ではないだろうし、一発合格はできず何回か落ちるかもしれないけど、たぶん、受かる。

そして、「資格くらい取らないとどうやってこの先生きていくのか」という不安。

自分は特別な才能は何も持っていない。それだけで生きていけるような秀でた容姿も、誰にも負けないといえる特技も持っていない。この人だ、と思えるような恋人もいないし、この先誰かと結婚できるという期待もしていない。

だから勉強しなきゃいけないのだと、思う。

何もないのだから、努力で、時間を積んで後天的に手に入るとわかっているものは身につけておかなきゃいけない。

勉強が苦手じゃないとわかっているからこそ、でも同時に何も「特別」は持っていないこともわかっているからこそ、勉強という努力をしない自分を許すことができない。

 

私と同じ事務系で、資格の勉強をする気は全然なさそうな同期。でも彼女はいい。既に長く付き合っている彼氏がいる。地元で就職し、実家で暮らすことに疑問を持たない。

どっちが正しいとか間違ってるとかではない。ただ、勉強しなきゃいけないのは私のほうだ。

 

どうすればいいんだろう。社会人は、どういうモチベーションで勉強してるんだろう。

自分にとって最良の選択は?

休日の時間を勉強に使うくらいなら、マッチングアプリを使って恋人を探した方がよっぽどスタンダードな幸せに近づくんじゃないか?

勉強するにしても、今の業界でしか役に立たないような資格じゃなくて、英語とかもっと汎用性のある資格をとったほうがいいんじゃないか?

資格取れば月給あがるなら頑張るのになあ。

「選択肢ふたつ抱えて大の字になれば左右対称の我」

って、高校のとき短歌の授業で出てきたなー。今の私は二つどころか5つも6つも抱えて、しかもどれも猛烈に選びたいものじゃない。

ひとつ確かなのは、こんな答えのない文章を書いている時間があるなら、読みかけの本読むか資格の勉強するか散歩するか友達のLINE返信するかしたほうがいいってことだな。

備えあれば憂いなし??

今週のお題「やる気が出ない」

 

1週間頑張ってやっと来た週末の1日目の昨日は、パン屋を2軒梯子するという贅沢をした。1日にカレーパンをふたつ食べるなんて今までしたことがなかったから、ちょっと罪悪感はあったけど、家に一人でいても悪い方向に考えが走って気がふさぐから、外に出て美味しいもの食べるのにお金使うことは、自分に許すことにした。

 

 

やる気が出なくて、ずっと先延ばしにしていたことに、この土日で少し取り掛かった。

それは防災グッズ、非常用持ち出し袋の準備。

 

地震が多い地方に配属になって、引っ越してからひと月ほどで既に4回くらい地震が起きている。1度は会社の安否確認システムが作動するくらいには大きい揺れだった。

配属が決まってから家族友達いろんな人に、地震に気を付けてと言われて、入社してからできた東北が地元の友達にも、防災グッズは用意しておいた方がいいと言われていた。だけど、今までなんとなく面倒でやっていなかった。

 

するとおとといの金曜日、仕事中にまた地震が起きた。大した揺れではなかったけど、その日の昼休みに同じ部署の女性の先輩から、防災グッズ用意してる?と訊かれた。

 

その先輩は私より6つか7つ年上で、東北出身、地元は離れて一人暮らしをしている人だ。私が支店に出社するようになってから約3週間、一番仕事を教えてくれている人で、しゃべり方も雰囲気もほわんとしていて優しく、マイナスイオンが出ているような、癒し系の先輩。でも、仕事はバリバリできる。その先輩に、防災グッズを用意しているか否かをきかれて、私は正直に、やらなきゃと思いつつまだしていないんです、と言った。

先輩は怒るでも叱るでもなく、いつもの優しいのんびりした口調で、しておいたほうがいいよ~~、と言った。そして、何を備えておくと便利か、これはあっても使えない、これが意外と使える、などと教えてくれる中で、先輩が10年前の震災で被災したときの話も聞かせてくれた。

 

1日の食事が、クラッカーとみかんだけだった。これはまずいと思ってスーパーに買いに行ったけど、3時間以上並んで買えたのはお菓子一つだけだった。

この可愛いほわんとした先輩がそんな経験をしたなんて、いまいちピンとこなかった。

 

私は実家も大学も西日本で、親戚もみんな西の人間だから、10年前の東日本大震災で被災した人に今まで会ったことがなかった。地震発生時、小学校の卒業式の練習中に床がゆっくりぐるぐる回って気持ち悪かったこと、その日学校から帰ってテレビをつけたら津波の映像ばかり流れていたこと、次の日の朝から学校で募金がおこなわれていたこと、テレビのCMがエーシージャパンのものばかりだったことなどはよく覚えている。

でも、やっぱりどこか他人事だったんだな、とその先輩と話していて思った。

毎日ニュースで流れる被災地の状況に胸は痛んでいたけど、でも、なんとなく遠い地の出来事だった。東北で大変なことになっているけど、私には毎日帰る家があって、家族がいて、1日3食ご飯を食べて、お風呂に入っている。私の生活は何も変わっていない。

大学生のときに住んでいた私の地元よりさらに西の地方では、私以上に、震災に関しての記憶は薄い。震災当時にいた場所がそもそも揺れてもいない人たちがほとんどだった。

 

こっちに引っ越してきて、何度か地震が起きてもなお、まだ他人事だった。やった方がいいとわかってても、非常用持ち出し袋を用意していなかった。明日、次の瞬間、ライフラインが機能しなくなるような大震災が起こるなんて想像できない。

でも10年前の東北の人たちだって、まさかあんな震災が起こるなんて思っていなかったんだろう。でも起きた。

 

先輩の話を聞いて、やる気が出ないとか言ってる場合じゃないなと思った。やる気とかそういう次元の問題じゃなく、生きるか死ぬかに関わることで、やる気が出なかったんで食べ物飲み物ありません、なんて言えない。地震は怖いけど、地震が多い地方に配属になる可能性がある仕事を選んだのは自分なんだから、それで生じるリスクには自分で対応するしかない。

その気になっているうちにやっておこうと思って、昨日と今日で防災グッズの準備をした。懐中電灯や軍手など家にあるものをリュックにまとめて、持っていなくてすぐに買えるものは買いに行った。

準備しておいてよかった、と思う場面が来ないのが最善だけど、準備しておけばよかった、と後悔するのは情けない。みんながパニックになってる場面で、自分を守れるのは自分だから、と先輩が教えてくれた。感謝しかない。

 

皆さん、どの地方かに関わらず、災害大国日本に住んでいる以上防災グッズは用意しておきましょうね。2日前にハッとさせられた私が偉そうに言う筋合いはないけど、やる気が出ないとか言ってる場合じゃないのは確かだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新入社員がおうち時間に考えたこと

 

今週のお題「おうち時間2021」

 

この春から社会人になった。

3月末から研修が始まり、4月なかばに初任配属先に引っ越してきて、今の家に住むようになって3週間ほどが経った。早起きから始まり、慣れないことだらけで疲れるけど、上司にも先輩にも恵まれて、今のところ「仕事がつらい」という状態にはなっていない。少しでも早く戦力になりたい。

 

朝6時に起きて、7時半に家を出て、19時前に家に帰ってくる。忙しいけどその繰り返しの1週間は意外と早い。まだ何もかもが新鮮だからかもしれない。金曜日の夜の嬉しさも、日曜日の夜の絶望(大げさ?)も、働き始めて2週間で早くも実感している。

今のところ、平日の夜は、仕事から帰ってから何かをする気にはまったくなれない。お風呂入ってご飯食べて寝る。たった3か月前の大学生のころは、日付を回って1時2時に寝ることも日常茶飯事だったのに、今や23時には寝る。というか起きていられない。

ありきたりだけれど、今の私と同じ8時半から17時半のフルタイムで働いて、そのうえ朝5時起きで家族分の弁当を作り、仕事から帰ってから家族の夕飯を作り、その他もろもろの家事もこなす母のすごさをしみじみと感じる。

 

でも、社会人って良いなと思うこともある。ひとつは当然、今までとは桁違いのお金が手に入ること。そのぶん出ていくお金も多いけど。

そしてもうひとつは、毎日仕事に行っているだけで、とりあえず自分を褒めてあげられること。

大学生の頃は、学生の本分は勉強と言いつつも、いかに学生という身分を満喫しているかが勉強よりも大切だった。少なくとも私の中では。いや、たぶんほとんどの私の周りの人たちにとっても。

サークル、飲み会、海外旅行、バイト、彼氏彼女。大学生活の価値をはかるのはそんなものじゃないって頭ではわかっているのに、自分よりもきらきらしている人たちを見かけては、何とも言えない劣等感を覚える。自分なりに大学生活を楽しんだはずだし、そこで出会った友達も先輩も後輩も好きなのに、自分が持っていないものや経験していないものを持つ友達が近くにいると、なぜだか少しみじめな気分になる。4年間という時間があったはずなのに、思い返すと何もしていない気がしてくる。人は人、自分が後悔していないならいいじゃない。そう思えるほど私は大人になれない。どうしたって人と比べてしまう。自分が、全力で頑張ったと胸を張って言える何かがないから余計に。

 

今は、とりあえず毎日ちゃんと起きて、仕事に行くことが一番の使命だ。熱烈にはまる趣味がなくても、彼氏がいなくても、具体的な将来の理想像がなくても、毎日ちゃんと働いている。何かを生み出してるわけじゃないし、ただの会社の駒だと言ってしまえばそれまでだけど、毎日朝から暗くなる時間まで働いている自分は頑張ってるなと思える。まだ働き始めて1か月も経っていない新入社員のくせして何を、と思われそうだけど、大事なのは実際のところ偉いかどうかではなく、自分を褒めてあげられるかだと思う。私はとりあえず、しばらくは、真面目に働いていれば自分を嫌いにならなくてすみそうで、それが嬉しい。

 

 

さて、おうち時間について。

余計なことを考える暇がない平日に比べて、土日はとても嬉しい反面、さあ何しよう、となる。今この文章を書いているこの時間がまさしくおうち時間。上に書いた文章からもわかるように、最近の私にとっておうち時間とは、深く考えだしたらへこみそうになる余計なことを考えてしまう時間でもある。土日はこれ!といえる趣味でもあればいいんだけど、私はあまり何かにハマることがなくて、なんとなくテレビみたり買い物行ったりしているうちに1日が終わっていて寝る前に自己嫌悪に苛まれるという悪いパターンで休日を終えることが多い。今は引っ越してきたばかりで、この地に友達と呼べる人がほぼいないことも関係している。

話すのは得意じゃないけど食べるのも飲むのも好きだから、外に飲みに行くのも好きなんだけど、コロナのせいでしばらくはそれも大っぴらにはできそうにない。

当面の目標は、休日何してる?と訊かれたときに「私は○○してます!」とはっきり答えられる何かを見つけることかな。

明日からまた2日間仕事だ。頑張る。そしてまた2日間のおうち時間がくる…

 

10年経っても染みるQ10

今週のお題「もう一度見たいドラマ」

 

今からちょうど10年前に放送されていた、Q10というドラマが大好きだった。

学園もののドラマで主人公は高校3年生で、当時小学6年生だった私は、「高校生ってこんな感じなんだなあ」と数年後の高校生活を想像しながら毎週楽しみに観ていた。

 

何が好きだったのかと言われるとうまく説明できないけど、前田敦子さん演じるロボットが未来からやってくるという奇天烈な設定の割に、劇的な出来事があるわけでもなく淡々と進んでいく空気感がよかった。

とんでもなく残酷なわけでも、救世主が現れるわけでもない、

出てくる大人がかっこいいんだよなー。担任の先生とか、校長先生とか、両親とか。

 

あと、このドラマはキャスティングが素晴らしかった。生徒役で当時名が売れていたのは佐藤健前田敦子ぐらいだったけど、10年経った今役者として活躍しているひとがたくさんいた。蓮佛美沙子高畑充希賀来賢人柄本時生、そして何より池松壮亮。当時キャストを決めたスタッフは素晴らしい見る目を持っていたと思う。私が偉そうに語ることでもないけど。

見ていた当時は12歳で、よくわからないけど面白いから見ている側面が大きいかったけど、歳をとるほど、思い出して身に染みる言葉が多くて、いいドラマだったなと思う。

 

「データならあります。同じだけど違います。」

「死ぬほど考えること。」

「先生もクラスの人もみんな知ってるよ。でもみんな知らんぷりしてくれる。それって優しいのかな、それとも冷たいのかな」

それに対しての、「たぶん、どっちもだな」。

「死ぬほどほしいものがあるっていうのはさ、まだまだ生きるぞってことなんだよ」

「信頼できる大人を一人見つけたら、それはもう成功したようなもんだ」

「あの校門の坂道を、久保君と歩くんだ」

 

印象に残ってるシーンもセリフもたくさんあって書ききれないけど、私は、本でもドラマでもなんでも、「世の中、最高でもないけどそんなに悪くもないよね、しゃーない、生きるか」って思わせてくれる作品が好きだ。Q10の脚本を書いた木皿泉さんの作品はそういうものが多くて好き。抽象的な表現になってしまうけれど、「めっちゃいい!」や「最高!」という感情も、もちろん救いにはなるけど、勉強でも仕事でも人間関係でも、何とか前に進むために必要なのは、「悪くない」と思えることじゃないかな、と思う。

 

あのドラマで、初めて池松壮亮という俳優を知った。あの時の池松壮亮はまだ20歳そこそこで、つまり今の私と同じ年くらいかなんなら年下だったわけで、その上で思い出すとさらにそのすごさを実感する。演技自体はめっちゃ上手ってわけじゃなかったけど、あの何とも言えない哀しみの表現に引き込まれた。病気で長期入院してて、高校も留年して、悔しくて不安で仕方ないはずなのに、優しく落ち着いていて、自分に酔って悲観しているわけでもないのに、哀しくて仕方がない。笑っているのに哀しくて見ていて切なくて苦しい。あの久保君は本当に、優しくて哀しくていい役だった。あのドラマを見て、私は池松壮亮のファンになった。今や年に何本も映画に出演する人気俳優の池松壮亮を、10年前から好きでいたことは、ちょっとした私の自慢だ。

 

また10年後にQ10を見たら、違った感想になるのかなあ。

10年後にもQ10を見たいから、10年は頑張ってなんとか生きたい。

10年後の想像はまったくつかないけれど、でもリアルタイムでQ10を見てた時も、10年後なんて来ると思ってなかった。大学生になってる自分なんて想像できなかった。でもあっという間だった。だから次の10年もきっとあっという間なんだろうな。

 

 

 

マリアビートル

今週のお題「読書感想文」

 

最近読んだ本で面白かったもの。

伊坂幸太郎さんの、『マリアビートル』。

 

数年前に生田斗真さん主演で映画化された『グラスホッパー』の続編、のような形で出された本。続編とは言いつつも、中心となる人物は違っていて、グラスホッパーに出てきた人たちもちょくちょく話の中に出てくる、という作り。

 

高校生の頃に知ってから伊坂幸太郎さんのファンで、あの独特な言い回しと空気感が好きでよく読むのだけど、このマリアビートルという本は、伊坂さんの作品のなかでも特に、伏線回収がすさまじい。ラストに回収しまくるしまくる。

あらすじはうまく説明できないし長くなるので割愛させていただくが、簡潔に言うと、東北新幹線内での殺し屋同士の対決の話で、物騒なテーマのはずなのに伊坂さん特有のウィットに富んだ会話と先が気になって仕方がない展開のもっていきかたでするする読める。

私のつたない語彙力ではおそらく伝わらないけど、叫びたい。

なんでそんなストーリー思いつくの!!どうやって話の構造考えてるの!!

そしてこれでもかとまき散らした伏線を最後にしっかり回収していくこの爽快感!!!

一度でいいから脳みそ交換してほしい!!

 

蜜柑と檸檬という腕利きの殺し屋二人組のすっとぼけた会話がこれがまたいいんだ。

わかりやすくてベタな友情表現は使っていないのに、二人の結びつきの強さがあとからあとから分かって尾を引くあのなんともいえない切なさが胸に来る。

そして王子と言う名の中学生のまあ腹立つこと!まず最初にこいつを殺せ!と思いながらずっと読んでいた。あそこまで読者を腹立たせる表現力文章力も見事だし、天道虫という名の殺し屋の、殺し屋なのに応援したくなるキャラ立てにも舌を巻く。

 

とにかく面白いのでぜひ読んでみてください。そしてそれを機に、もう十分人気作家さんだけどさらに伊坂幸太郎さんのファンがさらに増えたらいいのにと思います。

 

 

まったく関係ない余談。

最近買ったカントリーマアムの球磨栗味が美味しい&可愛い。

くまモンがいちいち可愛い。栗の風味もしっかりしてる。

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以前に、カントリーマアムのほうじ茶味を買ったんだけどそれも美味しかった。お菓子の季節限定とか期間限定味って結構邪道というか、結局普通のが一番美味しいっていうのがよくあるパターンだと思ってたけど、カントリーマアムは少し変わった味も美味しい。ご賞味あれ(*‘ω‘ *)

 

働くこと

おはようございます、今日も今日とて暑いですね。

この「今日も今日とて暑い」というセリフはバイトの後輩の女の子が先日一緒にシフトに入ったときに言っていたもので、気に入って私も多用している。2000年代生まれの女の子が挨拶ついでにさらっと使う言葉かね、とやたら面白かった。

 

それはいいとして、帰省から帰ってきてしばらく、感染者数の多い県に滞在してきたので、自粛したほうがいいかな…?と思って友達とご飯行ったりするのは自粛してるんですが、

(帰省中は実家以外の場所にはほぼ行ってないし、人ごみも通ってないので私自身そんなに気にしなくてもいいと思ってたんだけど、帰省するって話を友達にしたときに、友達に先に「じゃあ帰ってきたらしばらくは自粛だね」と言われてしまい、気持ち的になんとなくそうせざるをえなくなったんだけど。その友達のことは好きだし仲良しなんだけど、なんだか嫌な世の中だ)

 

おとといから一週間くらい、たまたまバイトのシフトも噛み合わず、本当に何も予定のない日々を送っている。いや、やることはある。卒論、資格の勉強。。。。。やるべきことはあるけど、一日予定がなかったところでやる気は起きない。だらだらスマホを触ったり昼寝したり。

これが一週間続くのはさすがにまずい、と思ったので、昨日、野菜カット工場の単発バイトに行ってきた。野菜を決められたグラム数ひたすら袋につめたり、ひたすらバーベキューセットを作ったり、ひたすらシールを貼ったりという内容だった。8時~18時までの勤務だったんだけど、普段のバイトでこんなに長時間立ち仕事することはないので、運動不足がたたっていまめちゃめちゃ筋肉痛。単純作業自体はそこまで苦痛ではなかったけど、任された作業が終わってしまったときとかふと手が空いた時に何をしていいのかわからず、担当のひとに指示をあおぐものの「あー、ちょっと待ってね」とか言われて手持無沙汰でぼーっと立ってる時間が苦痛だった。何か仕事をください。

 

その工場でフルタイムパートで働いているという主婦さん(?)たちと話す機会もあって、「お姉さん何歳?」ときかれて答えると「きゃー若いー!」と言われ、「彼氏いるの?」ときかれて「いないんですよ~」と答えると、「こんなとこで野菜詰めてる場合じゃないよ!」と言われ。

おっしゃる通りです、胸に刺さります。。でもほしくてもできないんです(笑)

 

「学生時代に見つけとかないと社会人になって残ってる男なんてロクなのいないよ!」という情け容赦ないアドバイスが痛かったり面白かったり。

昨日一日働いただけでもしんどい仕事だな~と思ったのに、週5日、フルタイムで働いてるこの方たちは本当にすごいな、と思った。「何が悲しくてこんなとこで働かなくちゃいけないんだよ~」って言いながら、「でも生きていくってのはそういうことなんだよ」とせっせと手を動かしていた。「来年から社会人なんですけど、毎日働くなんて今の感覚からすると信じられないんです」と言った私に、「国民の三大義務習ったでしょ?来年からは納税の義務と勤労の義務を果たさないといけないんだよ」と返してきたパートさんたちはかっこよかった。

「どこに行っても嫌な人はいる、絶対にいる。一番面倒なのは人間関係。仕事は覚えればいい。でもどこにいっても人間関係はついてまわるし、覚えて対応できるものじゃない」という言葉も、知っている事実のつもりだったけど改めて言われると痛い。

 

そして、昨日一日仕事の指示を出してくれて、おそらくその工場のリーダーである社員さん、若いのにすごいなーとは思ってたけど、帰りにあいさつした時にまさかのまさかの年下だってことが判明して、いやもう本当に尊敬します、と気おくれした。私は大学まで行っていったい何をやっているのか。

 

来年から社会人なんてほんとに信じられないけど、でも四の五の言わずに働くしかない。大量の野菜をひたすら詰めたり切ったりする作業をみて、「この世界は誰かの仕事でできている」っていう言葉は陳腐ではあるけど確かにそうだなと実感した。

 

そういえば一人暮らしを始めて、今まで母に甘えてやってもらっていた家事を一人でしなければならなくなったとき、「暮らす」には「洗う」という作業が不可欠なんだなとしみじみ思った。顔を洗う、歯を磨く、お風呂に入るという動作から、洗濯、掃除、洗い物まで、全部「洗う」ことが根本にある。身体にしろ道具にしろ、使い続けるには洗わなきゃいけない。それとおなじで、昨日のパートさんが言っていたように、生きていくには働かなきゃいけないんだろうなあ。特別秀でた才能がなくても、熱烈にはまっている趣味がなくても、彼氏ができなくても、結婚できなくても、死ぬわけにはいかない。どんなにさえない人生でも辛いことが重なっても、自殺する勇気は、人生を自分で終わらせる度胸は私にはない。

 

と、いい感じにまとめたけどやっぱり嫌だ。働きたくない。早起きつらい。ずっと学生がいい。でも学費と下宿代を払ってもらっているという後ろめたさをずっと抱えて生きるのも嫌だ。

 

とりあえず早く自粛を明けたい。友達と会って話したりご飯行ったりしたい。いつまで自粛してればいいんですかね。誰か明確な基準を教えてください。腐りそうです。

 

親心の難しさについて

今週のお題「怖い話」

 

なんだか億劫になってしばらく更新をさぼっていた。

一週間ほど前から実家に帰省している。明後日もどって、しばらく自粛するつもり。

友達に会ったり研究室に行ったりしたいけど、大学の所在地よりも人口規模としては大きな県に実家があるので、もしコロナに感染していたらと思うと人と会うのはやっぱり躊躇う。私みたいな若い世代は特に、感染するより、人にうつしてしまうほうがよっぽど怖い。連日コロナ差別のニュースを見ていてつくづく思う、コロナより人間のほうが怖い。「怖い話」というテーマで真っ先に思いついたのはこのことだ。

 

 

ここ1週間、実家に帰省してから、人に言えないくらいのだらだら生活を送っていた。

一応勉強道具は持ってきているけど、まっっったくやる気は起きない。

大学生になって一人暮らしを始めて4年目、私は、一週間以上帰省したことがない。

夏休みや春休みなどの長期休みでも最長1週間、就活や成人式といった行事で帰ってくるときは3日ほどしか滞在しないこともある。両親はいつも、もっと居ればいいのにと言うし、帰省にかかる交通費などを鑑みてももっと実家に滞在したほうがなんとなく元が取れる気分はする。

バイトを1週間以上休むのは気が引けるから、とかなんとか理由をつけて親をかわしているけど、実のところは、そんなに長く実家にいたくないというのが本音だ。

私の家は狭く、部屋が少ない。実家には私の部屋はない。だから受験勉強をしていた高校時代から、あまり家を勉強場所にせず学校の自習室や塾で勉強していた。そのせいか今も、実家でレポートを書いたり勉強したりすることができない。

というのは言い訳で、ただ単純にやる気が出なくて集中力が足りないだけなんだけど。

とにかく実家にいると、卒論ややるべき勉強がまったくはかどらない。かと言って、じゃあ開き直って実家にいる間はとことんダラダラしようと腹をくくれるほどの思い切りがなくて、妙なところで真面目な私は、実家にいる間、やるべきことがあるのにダラダラしているという罪悪感を常にひしひしと感じることになる。

もう一つ、実家に長居しない大きな理由は、正直なところ、親(特に母親)が厄介だからだ。

決して母が嫌いなわけではない。私が帰省すると、美味しいものをたくさん食べさせてくれるし、実家で暮らしていた高校生までの頃と比べると格段に優しい。普段一人暮らしをしているだけあって、話をきいてもらうのも母の話を聞くのも楽しい。

でも、相手が自分の意に反することをしたらすぐ機嫌を損ねるところや、気が短いところ、頭のいい子供がそのまま母親になったようなところはやっぱりずっと変わっていなくて、疲れるな、と感じることが多々ある。

 

自分で言うのもなんだけど、私は昔から聞き分けのいい子供で、好き嫌いも少なく、母が作った料理はなんでも美味しいと言ってたくさん食べていた。母の中で私はいつなんどきもよく食べるイメージで、だから、帰省した時にいつもより少し食べなかっただけで、すごく残念そうな顔をされる。「せっかく作ったのに」とか「どうしたの調子悪いの?」という言葉を投げられる。私は高校生になったあたりから毎年夏は夏バテで食欲が落ちるのだけど、母は毎年それを忘れる。毎年、私は「夏バテしてるから」とまるで私が悪いことをしたみたいに説明して、でも母に心外だみたいな顔をされるのが嫌で、結局少々無理をして、食欲がなくても食べる。それが続くと1週間でもきつい。母のほうはあくまで善意で私の好きなメニューを作ったり買ってきたりしていると知っているから、尚更無下にできない。

他にも何かと母には気を遣う。繰り返すけど母が嫌いなわけではない。帰省した時にできるだけたくさん食べさせたいと思うのは純粋な親心だと知っている。私がここまで育ってこれたのも大学に通えてるのも母のおかげだと痛感しているし、もちろん感謝している。でも、感謝しているからこそ、嫌いにはなれないからこその難しさがある。自分が間違っているなんて露ほども思っていない母のそぶりに一種の怖さすら感じることもある。両親と妹、家族の中で話すのが一番楽しいのは母だけど、同時に、一番わかり合えないと思うのも母だ。親はありがたくて、でもやっかいだ。他人みたいに、気が合わないからという理由では簡単に距離を置けないし、こちら側には育ててもらった恩が一生、ついてまわる。でもやっぱり、親は大切だ。がっかりさせたくないし心配かけたくない。

 

昨日下宿に帰ってきた。「食べないと悪い」状態から解放された反動で、まったく食欲がない。自分一人だと食生活がおろそかになる。

残りの夏は体壊さない程度に食べて、年末年始に帰省したときはもりもり食べる姿を親に見せられるように夏バテ回復を目指す。

 

「怖い話」というテーマだったはずなのに途中から話が全然違う方向にずれてしまった。。連日の暑さのせいで思考力が落ちている。