mokomokorabitsの日記

ハイヒールやフレアスカートが似合う女性を目指したい

日本語

 最近、日本語という言語について大学の先生が教えてくれたことで、印象深いものがあったのでここに残しておきたい。

 

 中国文学を専門としている先生の授業を3学期から履修し始めたのだが、その最初の回の内容が、中国語、および漢字の特徴についてで、その関連で日本語や英語の特徴も教えてくれた。

 先生曰く、英語は「責任逃れができない言語」で、日本語は「責任をぼやかすことのできる言語」だそうだ。

 

 英語は基本的に必ず主語「I」から始まる。そして否定形であれば、否定を示す「don't」がその直後におかれる。つまり初っ端から、自分の立場が肯定なのか否定なのかを明示することになる。結論を先に述べる形となり、とても簡潔で、自分がyesなのかnoなのかはっきりしている。

 対して日本語はというと、「私はそう思わない」というように、否定の「ない」が文末にくる構造になっている。今例にあげた文は短いものだが、結論を述べないままずるずると文章を長くすることもできる。日本の古典は一つの文章がとても長く、「結局なんなのか」がなかなか分からない。1000年以上前から、その特徴は健在だ。

 そして、日本語のもうひとつの大きな特徴として、語順を入れ替えても意味が通じるという点がある。「そう思わない、私は」でも十分に意味は通じる。つまり誰の意見で誰の考えなのかをはじめに言わなくても文章が成立する。応用、機転が利きやすいといえばその通りだが、まどろっこしく、責任の所在をぼかしているともいえる。

 

 「日本語は日本人の性格的特徴をよく表している。」

 先生のその言葉は私にはマイナスにしか聞こえなかった。

 日本語は好きだけど、日本人の気質は好きじゃないのかもしれない。そう思う私の性格は、とても日本人らしいという自覚があるのだけど。

 授業中に先生からこの話を聞いた時はもっと「ほお―――、なるほど」と思ったのに、自分で文章にまとめてみると全然説得力なくてがっかりした。