餃子
今日の夜、友達と大学の近くの餃子が売りのお店でご飯を食べてきた。
美味しかった。ベーシックな焼き餃子のほかに、パリパリの羽が付いたチーズ餃子、にんにく餃子、水餃子も食べた。ほかにも一品料理をいくつか食べて、お酒も二杯飲んで、帰りにコンビニでアイスも買って食べた。すごく普通っちゃ普通だけど特別で、楽しかった。最近激烈にご飯を作るのが面倒だったので、ご飯が出てきて洗い物もしなくていいという幸せを味わえてうれしかった。
せっかく県庁所在地のここに住んでいるうちに行っておきたいお店はたくさんあるんだけど、なかなか行けていない。
いま、外国人に日本語を教えることを最終目的にした、日本語教育の授業を受けている。日本語の先生になるひと向けの授業だけど文学部なら誰でも履修できて内容が面白いので前期に続いて履修している。日本語の特徴、文法的理解、日本語を教えるにあたっていくつか存在するシラバスのそれぞれのメリットデメリット、等々いろんな話が聴けて楽しいのだけど、私は先生が合間時間に余談という位置づけで話してくれる、外国人と関わるにあたって大切なこととか、勉強することの意味とかそういう話が特に好きだ。日本語教育という学問の世界ではきっととても権威のある人なのだろうと思われるその先生は、語学に明るく、しょっちゅう学会とかで外国に行っていて、ゼミでも留学生を相手にしている。そんな先生が今日言っていた。
どこの国に行っても、外国人だという理由で嫌な思いをすることは多かれ少なかれある。そういう目に遭ったときは、日本に帰ってきてから、外国人に優しくすることができたらそれでいい。
私のゼミの先生たちは、基本優しくゆるく適当なことばかり言っていてやる気があるようには見えないけど、学生の発表とかを聞いたら、なんでそんなに広げられるんだというくらい多角的な視点から疑問点や掘り下げたほうがいい点をどんどん教えてくれる(というか勝手につぶやいている)。
今日、ゼミのちょっとしたグループ学習みたいなので、私が選んだ事業系食品廃棄物の再生利用に関する論文に対しても、私は気づかなかった問題点とかを次々と挙げてくれて(ほっといてもしゃべりだす)、見えていなかった根本的な問題も教えてくれた。
なぜ食品廃棄物の再生利用は進まないのか。
現時点で私たちの生活に直接影響する問題とはなっていないから。
土地が限られている太平洋の島国の中には、そういった廃棄物問題に社会全体が関心を抱いている国もある。
そもそもなんで食品廃棄物の再生利用を進めなきゃいけないのか。
食べ物を捨てるのは悪いこと、それはなんとなく皆が抱いている感覚。世界には飢餓で死んでいくひともいる。でも、子供に、どうして食べ物を捨てちゃいけないのと問われたとき、的確に自信をもって理由を答えられる人がどれだけいるのか。もったいない、それだけの話だろうか。
食品廃棄物を減らし、その再生利用を進めるためには、まず、その倫理観、道徳観から考えなければならない。
こういうことを教えてくれる先生の授業を受けられてよかった。
社会に出て役立つ専門知識は身につかなくても、就活に不利でも、こういうことを教えてくれる先生がたくさんいる文学部にしてよかったと思う。
今日はいい一日だった。