mokomokorabitsの日記

ハイヒールやフレアスカートが似合う女性を目指したい

就職活動を終えて 所感

 私はこの春、就活生だった。21年卒新卒採用。1年後から働く会社を見つけるための就職活動。

 就活のことについてちゃんと記録を、考えたことを文章に残しておきたくて書き始めたのだけど、うまく整理して組み立てられる自信がない。でも、私が1年前から就活を終えるまでずっと不安だったことを、恐らく人生の大きな岐路のうちのひとつである会社選びをした過程を残しておきたいなと思った。とても長くなってしまう予感がしている。

 

 まずは、終えてみて率直な感想。意外とあっさり、え、いいの?っていう感じのあっけなさだった。私が内々定をもらい、承諾し、来年から働く予定の会社は、私の中でもかなり志望度の高い会社だった。だからもちろんうれしかった。しかし、今年は新型コロナの影響で最終面接もWEBで、恐らく例年よりも先行回数も少なく、私が受けていた大体の会社は最終面接含めて面接は2回で終わった。ありがたいことに違いはないが、お互いじっくり向き合うような時間はなかった(少なくとも私はそう感じている)。

 早めに終われてよかったけれど、本当にこの会社でいいのか、自分に合っているのか、少し不安はある。でも、それは考え出したらキリのない問いで、就職先がどんなに評判のいい企業であろうとそうでなかろうと、結局は働いてみないと分からないことだ。

 

 自分の就職活動を振り返ってみる。

 

 就職活動、というものを真面目に考え始めた、というより、いよいよ目を反らせなくなったのは1年ほど前だろう。去年の4月、私はまず、教育実習に行くかどうか、つまりは教員免許をとるかどうかで悩んだ。実習に必要な教職の単位は取っていたし、教育学部の授業には興味深いものや楽しいものもあったけど、本気で教員になりたいわけではなかったので、教員の選択肢はそのときに捨てた。

 そして次は、公務員講座を受けるかどうかで悩んだ。公務員という仕事に魅力を感じたわけではないが、安定感や知り合いの先輩が多く受講していること、“勉強すればなんとかなる”側面が強いこと、とりあえずやるべきことが明確という点で、迷った。何をすればいいのかがわかりやすい(この場合は勉強)というのはある意味でとても有難いことだ。しかし、学内の公務員講座は平日毎日、授業後18時半から始まり、21時過ぎに終わる。夏休みもほぼ毎日。そんなに勉強をする覚悟が決められなかった私は、結局、公務員の勉強をする道も選ばなかった。その時点で、就職について考えるのを1番先延ばしにできる選択が、普通に民間企業で就活をして就職をすることだった。

 

 その後、秋口までは、市内でリクナビマイナビといった会社が主催するイベントやセミナー、大学内でキャリアセンターが主催している就活講座のようなものにはとりあえず足を運んだり、とりあえず何かしなければという焦燥感から近場の1dayインターンに行ったりしていた。

 こういったイベントに一緒に参加していた友達と毎回のように交わしていた会話は、「ずっと学生でいたい、働きたくない」「どこでもいいから就職したい」「どこか雇ってくれないかな」…情けないけど、でもきっと就活をする学生の大半はこんな思いなんじゃないだろうか。ほとんどの人は学生のままでいたくて、でもそうは言ってられなくて、文系で大学院に進んでも将来性がないし、嫌でも就職して働くしかない。自分のためにも、親のためにも、世間体のためにも。

 うだうだしながらもとりあえず志望業界を絞り始めたのが11月ごろ。年が明ける少し前から大学のキャリアセンターに通うようになり、自己PRやがくちかの添削をしてもらい、年が明けて1月下旬ごろから選考の早い会社はぼちぼち説明会が始まっていた、気がする。

 

 自分としてはうだうだしていたが、客観的に、例えば大学内文系の同じ就活生の中で、就活の準備を始めるのは早い方だったように思う。結果的に早くに就活を終わらせることができたのには少なからず、準備を早めに始めていたことが関係している(と、思いたい)。

 よく、就活対策のセミナーや本で「就活の進め方」を時系列に沿って示している図を見かけた。大学二年から企業研究、業界研究を進め、自己分析も並行してやりながら、大学3年の夏から秋にはインターンやOB 訪問。

自分が経験してみて、わかった。あんなものは理想の理想だ。本当に意識の高い人はやっているのかもしれないけど、少なくとも私の周りにあの図で示されたような就活の進め方ができている人は一人もいなかったと思う。自己分析なんて真面目にやってる人に出会ったことがない。嫌なことはずるずる先延ばしにして、結局目前に迫って初めて手を付けるのが大半の学生だ。

 

 朝井リョウの『何者』という小説がある。有名なので知っている人も多いだろう。私は大学1年のときにこの本を読んで、いつか自分が経験するであろう就活が恐ろしくなった。実際終わってから振り返ると、その話の中に出てきたような奇抜なESも、気をすり減らすグループディスカッションも、私はほとんど経験しなかったのでラッキーだったのだろう。

でも、主人公が言っていた、就活においてつらいのは、そんなに大したものでもない自分を、大したもののように話し続けなければならないことだ、という考えにはとても共感できる。自分が大した人間ではないなんてこと自分が一番わかっているのに。面接で自己PRをしゃべりながら、すみませんと謝りたくなるあの後ろめたさはなかなか慣れるものではない。

そして、小説の終盤に主人公の友達が漏らした、「俺って、ただ就活が得意なだけだったんだ」という言葉も。就活をする期間よりも、この先その会社に入って働く時間のほうが何十倍も何百倍も長いのに、メインは入社してからなのに、就活のなかで、どれくらいの規模の会社に、いくつ、いかに早く、内定をもらえたか、そのことが何より重大になってしまっている。

 

 私は、自分で言うのもなんだけれど、それなりの規模の、それなりに給料も待遇もいい会社に、GW前に内定をもらえた。就活が終わったことを報告した友達や知り合いには、「早いね」「すごいね」と言われ、全国転勤ありの総合職であることを言うと重ねて「すごい」と言われる。初任給を訊かれて答えると、「めっちゃいいじゃん!」と驚かれる。

 でも、違う。私がすごいわけでも優秀なわけでもない。

 これは、本当に言い切れる。

 

 就活を経験して、就活の何が大変なのか、私なりに分かったことがある。

 同じような募集枠に、同じような属性の学生が集まるから大変なんだと思う。商社とか、金融とか。

 私が内定をもらったのは、建設会社、いわゆるゼネコンの事務系総合職。事務といってもいわゆる一般職のイメージとは違い、基本給や福利厚生は技術職の人と同じ。条件は結構いいのに、特に文系の学生の中では知名度の低い業界なので、おそらく倍率も低い。志望動機をちゃんと説得力をもって話すことができれば、たいてい、会社の人は「知名度の低い建設業に、文系なのに興味を持ってくれてありがとう」というスタンスで対応してくれる。つまり、言い方は悪いが「穴場」なのだ。だからこんな私でも、業界内でそれなりの大手の会社に内定をもらうことができた。

もちろん、ゼネコンという業界に魅力を感じたのは本当だ。文系の私では専門的な知識は及ばないけれど、施工以外のすべての面で現場を支える仕事。純粋に、スケールの大きいものづくりにも惹かれた。実際のところは働いてみないとわからないけど、いい場所を見つけられたと思っている。就活の結果に不満はない。

 

私がゼネコンに興味を持ったのは親が同業であることと、部活の先輩が同じくゼネコンから内定をもらっていて、その人と就活の話をする機会があったからだ。自分一人では知ることのなかった業界だったと思う。そして、ゼネコンといわれる業界は総じて選考が早い。今年はコロナの影響もあり余計に、かもしれない。

 

 つまり、私の就活の結果は、ほぼ私の能力に依るものではない。面接で訊かれたことに対して答える最低限のキャッチボールと、緊張する場面でもにこにこできる愛想の良さ。そこに、たまたま「穴場」な業界を見つけ、それが自分のやりたいこととマッチして、その業界の選考が早かったといういくつものラッキーが重なった結果だ。運も実力のうちという考え方もあるだろうが、少なくとも、自分の能力や人柄の魅力で内定を掴みとった、という手ごたえは乏しい。ラッキーだったな、という感覚のほうがよっぽど的を射ている。決して私の能力が高いわけでもなければ、仕事での活躍を保証されているわけでもない。本当に大事なのは、本番は、入社後だ。内定をもらってゴールじゃない。その実感が日増しに強くなって、だんだんと私の中で不安に変わってきている。

 

 そして、もう一つ。

 就活の間、私のモチベーションを支えてくれたのは、ある一人の先輩だった。

 うだうだしながらも、憂鬱に思いながらも、私が平均的な学生より少しだけ早く就活の準備を進められたのは、その先輩が私を正しく焦らせてくれていたからだ。その先輩自身がきちんと就活の準備を早め早めにしていたことを知り、私もちゃんとしなきゃと思えたからだ。忙しい中で丁寧に就活の相談に乗ってくれたその先輩に、いい報告をしたいと、行きたいと思える会社に内定をもらえたことを報告したかったからだ。

 大きい会社に入りたいとか、自己実現とか、そういう大層な目的ではない。その先輩におめでとう、よかったねと言ってもらえるような、先輩が安心して、相談に乗ってよかったと思えるような報告をしたい。私を支えていたのはそんな気持ちだったと思う。定期的に大学に講演にくるリクナビマイナビの人、キャリアセンターのベテランの先生、そして両親。どんな人の言葉よりも、その先輩の言葉が私の中の指針だった。それが正しいことかはわからないけど、その先輩がいなかったら、私の就活の結果はきっと全然違っていた。いくら感謝してもし足りない。きっと私にはそんなふうに誰かを支えることはできない。だから、その先輩のことを本当に尊敬している。

 今年からもう社会人として働いている先輩に、無事に報告ができた。おめでとう、という言葉のあとに絵文字を二個も並べてくれた。その返信を見て、今まで就活にかけた時間が報われた気がした。人を動かすのは、人を尊敬する気持ちなのかもしれない、と知った。

 

 漠然と、ずっと不安だった就活だけど、終わってみればあっという間で、それも一応満足のいく形におさまってくれた。就活を通して自分を嫌いになるようなことはなくてよかった。

 友達のなかには、まだ就活を頑張っている子もいる。公務員志望の友達は今も毎日勉強している。みんな頑張れって、心から思っている。自分が早めに終わったから高みの見物、なんてつもりはない。本当に心から、みんな頑張れ、いい結果になりますようにと思っている。

おうち時間

お題「#おうち時間

 

 以前にも書いたかもしれないが、大学4年生、文学部所属、残すはほぼ卒論のみで必要単位はだいたい取り終わっている私にとって、この自粛期間は「開放感のない春休みがただただ続く」という感覚である。2月上旬からずっと春休みでもうざっと4か月、休みに入ったころはまだまだ本格的に寒かったのに、春を通り越していつの間にか初夏が来ている。

 

 幸い、私のバイト先は業種的にこのコロナ渦でも営業を続けているので、予定の中にバイトがあるのがせめてもの救いである。バイトもなければ私はさらに恐ろしいダラダラ生活を送っていることだろう。バイトは決して楽しくはないが、コロナがおさまったあとに(おさまると信じている)遊ぶための資金を稼ぐためにも、そして一日何もせずに終わる罪悪感を少しでもまぎらわせてくれるという意味でも重要だ。

 しかしバイトがあるにしても、家にいる時間がとにかく長い。私の最近のルーティン、朝9時前後に起きて、洗濯をしたりテレビを見ながら午前中をだらだら過ごし、14時くらいに昼食を食べ、15時から19時過ぎまでバイト。帰ってきて適当な夕飯を作り、風呂に入り、申し訳程度に卒論の準備や勉強をしながらやっぱりだらだらして、1時過ぎに就寝。この生活を2週間ほど繰り返し、そしておそらくこれからも続く。

 

 撮りためた映画の録画を見ようと思うが、なんだか最近2時間テレビの前に座っているのもしんどくなってきた。元々映画は好きで見たいものはたくさんあるのに、最近は映画をみることすら億劫になってきた。自粛がこうも続くと、テレビを見るという行為すらままならなくなるらしい。

 家にいる時間が長いので、普段より少しだけ丁寧に自炊をするようになったが、最近それも飽きてきた。サラダや炊き込みご飯は美味しいし作るのも楽しいんだけど、その分食費もかかるし、結局一人で食べるんだから味気ない。

 そもそも、いま私を悩ませているのは、コロナよりは周りの友達の状態かもしれない。大学4年生のこの時期、公務員試験を控えて勉強している公務員志望の友達と、民間企業で就職活動中の友達が大半である。進路に関することは、友達でも「いまどんな状態か」とは聞きづらい。自分は就活が早く終わったけど、それは自分に志望する業界がたまたま選考が早い企業が多かったからで、周りにはまだ就活中の友達が多い。就活がそれなりにしんどいものだというのは私も経験しているから、うかつに「就活どんな感じ?終わった?」とは聞けない。緊急事態宣言も一応は解除されているし、いま住んでいるところはまあ田舎だから、おそらく少数で家で遊ぶくらいはいいんだろうけど、コロナという状況を差し引いてもいま「遊ぼう」と声をかけられる友達は少ない。

 というわけで私はまだしばらくおうち時間を過ごさなければならない。どうしようか。何か目標を立てたほうがいいんだろうか。目標とは??

 とはいえ、おそらく私と同じような状態の学生は多いのだろう。特に大学4年生。

 母も言っていたけど、もうこんな休みが続く機会は老後までないだろうから、今のうちに謳歌しておくべきなのだろう。謳歌という雰囲気ではないけれど。

弾丸(?)尾道日帰り旅行

このような情勢ではあるけど、先日、ひとりで尾道に日帰りで行ってきた。本当は生口島に行きたかったのだけど、この新型コロナの影響でレンタルサイクルが中止になっており、歩きでも十分まわることができる尾道で止まっておくことにした。

なんだか急に海が見たくなったのが理由である。あと、開けた、遠くが見渡せる場所に行きたかった。

世の中が外出自粛ムードのなか、あまり褒められたことではないのはわかっている。すみません。いざ行ってみたらまったくと言っていいほど観光客はいなくて、人よりも猫をたくさん見かけた。感染のしようがない。商店街のお店も閉まっているところが多く残念だったけど仕方ない。いま出かけている私が悪い。

こんなときに観光に来やがって、と石を投げられても仕方ないくらいの覚悟で行ったのだけど、出先で出会った地元の人はみんな優しくて、癒されて帰ってきた。特に、古寺めぐりのコースの途中でいい景色の日陰ポイントを見つけ、30分ほど座ってぼーっとしていたときに通りがかったおじいさんにはほっこりさせてもらった。私の姿を見つけるや否や「今日はどこから?」と尋ね、「こんなときにありがとうね」と言って去っていった。お礼を言われるなんて思わなかった。お礼を言わなければいけないのは私であるはずだ。

 

ラーメンもアイスも可愛いパン屋さんで買ったパンも美味しかった。猫も可愛かった。楽しかった。

また行きたい。

一人で遠くまで出かけることはあまりないのだけど、自分のペースで歩けるし、疲れたらすぐに休憩できるし、気に入ったお店に2回入れるし、自由度が高くていいなと思った。でもやっぱり美味しいものを食べるときは、美味しいねと言い合えるひとが近くにいてほしいなとも思った。

 

坂道から住宅街を見渡したり、海を眺めたり、ぼーっとしているだけの時間がとても長かったけど、心洗われた。ああいうふうにぼーっとするだけの時間を笑わないでいてくれるひとと一緒にいたいなと思った。

海を見ながらいろいろ考えたけど、つくづく私は幸せ者だ。

自分と友達にレモンケーキのおみやげを買った。今日バイトから帰ってきて、コーヒーと一緒にレモンケーキをいただいた。マダムハニーのレモンケーキおすすめです。甘いけどレモンの風味のおかげでさっぱりしていて食べやすい。ちょっとしたご褒美にぴったり。

 

今日のバイトは厄介なお客さんが何人か来て嫌な気分になったけど、尾道のことを思い出して文章を書いてたらなんとなく気持ちが晴れた。楽しかったな、美味しかったな、という思いはこういうふうにも役立つんだな。

おすすめ

今日出かけた先で出会ったおじさんが、趣味で写真を撮っているらしく、そのアルバムのアドレスを教えてくれた。私は(おそらくそのおじさんも)機械が苦手なのでこういうのをどうやって人に広めるべきかよくわからないのだけど、とりあえずリンクを貼ってみます。とても素敵な写真がたくさんあるからぜひいろんな人に見てほしい。

https://nis.nikonimagespace.com/html/guest/ja/index.html?g=y5dogtwErQMhk01Twndxpy2pNyc77C9ZPHO4gvQvxe7R-UvW2y4oCgH9CPVii_TgoMwZi4lHcjv8SC8E6l10dg&r=0#grid

 

https://nis.nikonimagespace.com/html/guest/ja/index.html?g=7wiGlP7G4kfayW8FtPVILN_vihOXDuGIWcsQJgctv1zR-UvW2y4oCgH9CPVii_TgoMwZi4lHcjv8SC8E6l10dg&r=0#grid

 

これで見れるのかな?よくわからない。

 

新型コロナのこのような状況のなか今日出かけた話はまた後日ちゃんと書きたい。

会いたい人

今週のお題「会いたい人」

 

 

同じ研究室の同期の子で、私と同じように、研究室を勉強場所にしている人がいる。

なんとなく1年位前から、よく研究室にいるメンツが固まってきて、その人はその中でも私よりも頻繁に研究室にいる人だ。私はよく研究室で授業の課題をやったり、新聞を読んだり(この新聞は研究室で買っているもので、その子が毎日専用のポストに取りにいってくれている)、最近はエントリーシートを書いたりしていた。その人は公務員志望で試験を控えているので、それに向けていつも研究室で勉強していた。春休み中も、私がいつものように研究室に行くとたいていその人もいた。

研究室の部屋は2部屋あって、違う部屋を使う日もあれば同じ部屋で勉強する日もあって、同じ空間にいるときは、お互い集中力が途切れたときに雑談をしたりしていた。他の同期のメンバーがほぼ研究室にこないので、みんな何してるのかねえと外を見ながらしょっちゅう言い合った。いつの間にか桜がめっちゃ咲いてるね、という話もした。

ちょうど1か月くらい前、いつものとおり研究室に行ったらその人がいて、その日はびっくりするくらい長時間二人で話した。たぶん3時間以上だったと思う。後から、向こうは試験に向けて勉強しに来ているのに申し訳ないことをしたと反省したくらいだ。

その人と話すのはいつも本当にたわいのないことで、コロナウイルスの話、就活の話、公務員の話、研究室のメンバーや教授の話、身近でとりとめのない話題だ。でもいつも楽しい。まったく気を遣わなくてもいい、というほど打ち解けてるわけではないし、相手が私のことを友達と思ってくれているのか自信もないけど、総じてその人と話すのは楽しい。3時間以上話したその日はとりわけ楽しかった。その人が今までに体験した短期バイトの話はおなかがよじれるくらい笑った。家に帰ってから思い出してもじわじわ笑えるくらい面白かった。

以前から感じていたけど、その人はなんていうか、言葉の選び方が上手で、なんでもないことを面白く話すのが得意なんだろう。話し方も興奮口調なわけではなく淡々としているのに、静かな面白さがある。私もあんなふうに話せる人になりたい。

 

2月頭にあった卒論発表が終わってから春休みに入って、4月になってもコロナウイルスの影響で授業も始まらず、Webで授業が開始されたものの4回生なので授業もなく、ものすごい長い春休みが続いているという感覚だ。この春休みは就活があったのであまり遊びの予定はいれられず、朝起きて家でだらだらして、昼食を食べて午後から研究室に行き何かしらするというのが日課だった。私が行くとほぼいつもその人もいて、少し話をする日もあれば挨拶だけで会話はしない日もあった。話すか話さないかにかかわらず、2日に1回くらいはその人の姿を見かけていた。

それが、4月なかばに全国に緊急事態宣言が出されたせいでキャンパス内立ち入り禁止になり、いい勉強場所であった研究室に行けなくなった。明日から立ち入り禁止、の連絡が学務から来た日も同じように二人とも研究室にいて、ここに来れなかったら本当に困る、家だとダラダラしてしまう、と一緒に嘆いた。その日以来会っていないのでもう3週間くらい顔を会わせていない。

その間に私は就活が無事に終わった。あの人は元気だろうか。勉強はかどってるかな。公務員試験も延期が決まっていろいろ大変みたい。

その人に対して恋愛感情を抱いているわけではない。でも、ここしばらく会ってない、話をしていないのがなんか寂しい。どうでもいい話がしたい。

その人にとって私があまり気を遣わずに話せる存在だったらいいな。

いま会いたい人、と言われて、もちろん某先輩のことも浮かぶけど、先輩を抜きにするなら会いたい人はその人かもしれない。

とりあえず5月末までは大学には入れない。

入れるようになったら真っ先に研究室に行こう。その人も真っ先に来てたら嬉しい。

忘れていくこと

もし私が就活終わったことを連絡しなかったら、GW中ずっと地元にいても向こうから連絡はしてこなかったんだろうか。

私のこと振っておきながらその後2回もご飯行くのなんなんだろう、どういうつもりなんだろう、って思うけど、別にどういうつもりでもないんだろうな。

単純に話しやすくて仲のいい後輩だから、地元にいるうちに話しておきたい、ってだけなんだろう。それは全然かまわないし私も話したいんだけど。

本格的に現場配属になって仕事が始まったらなかなか休みは取れなくなるし、場所も場所だから会うのは厳しくなる。就活の報告ならなおさら早く話したい。

会えるうちに会っておきたい。

正確には、先輩が私と会うのを面倒だと思わないうちに。先輩の中でまだ私が鮮明に残っているうちに。

 

どんなにその時は重要だと思っていても時間と距離があったら人は忘れていく。それは高校から大学へ変わった時に身をもって実感した。高校の部活の部員も、高3のときのメンバーも、大学生になっても年1回は集まりたいねと言いながらまったく実現していない。それは決して、実際はそれほど仲良くなかったとかどうでもよくなったとかじゃなくて、単純にそれぞれの中で優先順位が下がっていくからだ。高校の友達を好きな気持ちは全く変わらないし今でも思い出してほっこりしたり笑えたりするけど、近くにあるのは今目の前の生活で、いま関わっている友達で、研究室で、アルバイトで。いま目の前にあることをこなしているうちに、会わないまま、思い出すことも減りながら時間は経つ。

気ままな大学生でもそうなのだから、社会人になったら尚更だろう。

私が先輩に告白したのは約2か月前で、2回ご飯を食べに行って、いろいろ話した。最後数か月でほんとに仲良くなれたと思うのは事実だ。その思い出はまだクリアで、最近で身近だ。だから、また機会があれば行きたいねとお互い思える。

 

でも先輩が現場に配属になって、仕事に追われる毎日になったら、だんだん私のことは忘れていくだろう。後輩として可愛がってくれているのは事実でも、日常の大半を仕事が占めるようになったら、そして距離が離れたら、思い出すこともどんどん減っていく。ただでさえ私たちは、いくら仲が良くても先輩と後輩以上の関係ではない。用もないのに連絡をする仲ではない。

そしてそれは私のほうも同じで、先輩よりはゆっくりだとしても、卒論やバイトや何かしらをして過ごすうちに、先輩の存在はだんだん薄れていく。こんなにも好きだったことは間違いない事実のまま、それでも少しずつ忘れていく。内定式、配属先発表、部活の演奏会、ちょっとしたきっかけで思い出してそのたびに懐かしく、会いたいなと思いながら、その頻度もその気持ちもだんだん小さくなっていく。

寂しいけど、当たり前のことなんだろう。

だから、会えるうちに。

連絡して日にちを決めてお店を決めてという段取りを厭わずにいられるうちに。

ご飯に行くまでのやりとりの面倒さと会って話したいという気持ちを天秤にかけたときに、後者が勝っていられるうちに。

これが終わったら、次こそ本当にいつ会えるかわからない。

感謝

 失恋した。

 

 3週間ほど前だ。

 その人には付き合っている人がいて、私の気持ちには応えられない、とはっきり言われた。

 

 悲しかったし、悔しかった。

 

 でも伝えてよかった。

 最高の結果には程遠いけど、自分なりに最善を尽くしたと言えると思う。

 ダメもとでも、好きだと伝えたいと思える人に出会えてラッキーだったな。

 

 春休み中に、好きな人と2回もご飯に行けた。楽しかった。

 楽しかった気持ちは嘘じゃない。いろんな話をした。部活のこと、就活のこと、家族のこと。こんなことまで話してくれるんだ、と嬉しかった。告白する前、した後、2回ご飯に行って、でも2回ともちゃんと楽しかった。気まずさもなかったし、相変わらず面白くて話しやすかった。

 楽しかった。思い出して少し笑えるくらい。

 好きな人と会うのに、悩んで服を選んで、いつもより丁寧に化粧して、家を出る前に何度も鏡をチェックして、そんな過程を踏むことがなんだかとてつもなく愛しかった。

 そんな経験をさせてくれたことに感謝している。

 

 楽しかった。

 でもそれと同じくらい、ずっと切なかった。

 

 ここ2か月くらい、就活とそのことで頭がいっぱいだった。

 いい加減、就活に集中したいと思いつつ、やっぱり、すぐにきっぱりは割り切れない。

 今頃どうしてるかな、と考えるし、会いたいなと思う。

 就職したその先で、その人が私を思い出すことなんてあるんだろうか。

 先輩と後輩としてはかなり仲良くて、後輩としてはすごく可愛がってくれていて、就職後も都合が合えばまたご飯に行こう、と言ってくれた。でも、社会人として働く先輩に声をかけるのは、後輩からしたらハードルが高い。付き合っているわけでもなく、男子同士のノリでもなく、一度告白して振られている立場の自分が声をかけるのは難しい。会いたいと思う。話したいこともたくさんある。でも、いくら先輩が言ってくれても、またご飯に行くのが実現するかはわからない。

 でもとにかく、元気でいてほしい。

 新型コロナの影響で新入社員研修とかも予定が変わったりして大変なんだろう。今どこにいるかもわからない。

 でも、元気でいてほしい。

 もしご飯にまた行けるなら、お互い元気で会えますように。