mokomokorabitsの日記

ハイヒールやフレアスカートが似合う女性を目指したい

ちょっと遅れて、好きなお店

お題についての記事を書こうと思っていたら、ずいぶん遅くなってしまった。

遅ればせながら、好きなお店、お気に入りのお店について。

 

この特定のお店が!というのはあまりないのだけど、私はパン屋と本屋が好きだ。この店のこの商品が、とかではなく、本屋という空間、パン屋という空間が好きだ。

 

パン屋が好きな人は特に多いと思う。今日も、バイトに行く前に昼食のパンを買いに近所のパン屋さんに行った。日曜の朝ということもあり大盛況で、私は自分一人の昼ご飯なので3つしか買わなかったが、ほかのお客さんはおそらく家族の分も、トレイいっぱいに菓子パンやおかずのパンをたくさん載せていて、少し羨ましかった。学生で一人暮らしでなおかつ貧乏性な私はトレイいっぱいにパンを買う機会なんてないので、私も働き始めて経済的に余裕ができて、大量のいろんな種類のパンを一緒に食べてくれる家族ができたら、あんな風にトレイをパンで埋めてレジに持っていきたい。

 

パン屋も本屋も、その中にいるとなんだか満たされたような、幸せな気分になる。売っているものは違えど、その幸せな心地は、「誰かが手をかけて、時間をかけて作ったものが大量に並んでいる」というある種の贅沢さに起因しているように思う。本屋独特の紙とインクのにおいも、焼き立てのパンの匂いも、どっちも贅沢だ。

 

私は物心ついたときから本が好きだ。小学生の頃はほぼ毎日図書館に通って多読賞の常連だった。高校生になったあたりから、勉強や部活で忙しくなってなかなか読書に時間が割けなくなって、読む冊数は減ったけど、「今読んでいる本」がない状態というのは私のなかでは珍しい。このコロナ休みのおかげで、ここ数か月は大学生になってから最も読書にいそしんでいる。最近読んだのは瀬尾まいこさんの「そして、バトンは渡された」。本屋大賞をとった有名な本で、劇的でハラハラするような展開はないけど、じわじわほっこりきて、面白かった。

 

そう、好きな店、本屋の話だ。

当たり前だけど、本屋さんには様々なジャンルの、様々な作家の膨大な数の本がある。私は本好きと言っても、基本的には小説ばかり読んでいるし、好きな作者に偏っているので、読書家とは恥ずかしくて言えないし言う資格もない。だから、本屋にある本の殆どは私が読んだことのない本だ。そして、今後私が死ぬまで読書が好きで可能な限り本を読み続けても、私が生涯で読む本は本屋さんに並ぶ本のほんの一部にしかすぎない。本屋の中を歩きながらその事実を実感して、毎回、少し悲しくなって、でも嬉しくもなる。こんなに読んだことのない本があるなんて素敵だと思う。私はきっと一生、本当の意味で暇になんてならない。自分の知らない領域が山ほどあること、その知らない領域に全力をささげている人がこれまた山ほどいること。それは恐ろしさであり心強さでもある。本屋さんに本が山ほどあるうちは日本は大丈夫だな、なんて根拠のないことをふっと考えることもある。

有川浩さんの図書館戦争シリーズのなかに、「本を焼く国はいずれ人を焼く」という一節があったと思うのだけど、私はこの表現にとても共感している。

すべての人が本を好きなわけではないことはわかっている。SNSが普及して、限られた文字数や限られた時間の動画でいかに人を惹きつけるかに焦点が当てられがちになり、活字離れが嘆かれる現代、日ごろ本を全く読まないひとも多いんだろう。でも、その人自身が読書好きかどうかは別にして、本を読むという行為を、出版という営みを、本屋という存在を軽視するような人は、本だけでなくきっと人のことも大事にできないと私は思っている。私の考えに納得できない人も多いだろうけど、私はこれからも本を大事にする人間でありたいし、本を読むことで得られる何かがあると信じていたい。

 

なーんて、ちょっと真面目にえらそうに書いてしまったけど。

最近、電子書籍が広がっているみたいだけど、あれって実際に本で読むのに比べて目が疲れたりしないんだろうか?個人的には、本も漫画も「ページをめくる」という作業こみでの楽しみだとだと思っているので画面で本を読むのは抵抗があるのだけど、高校の時の英語の先生も電子書籍を愛用していると言っていたし、社会人になったら買いたいものリストのなかにKindleもいれておこうかな。

それにしても今日買ったカレーパン美味しかった。パンの中から豚の角煮がごろっと出てきたときの幸せといったら。。また買いに行こう。次はあのパン屋さんの名物のあんバターフランスも買いたいな。一個280円は安くはないけど、何かのご褒美に。