mokomokorabitsの日記

ハイヒールやフレアスカートが似合う女性を目指したい

外食後のコンビニアイス

こんにちは。

今日から7月、2020年上半期が終わって今日から後半戦。恐ろしや。

でも後半戦のはじまりにふさわしく思えるような、気持ちのいい天気でなんだか嬉しい。貴重な梅雨の晴れ間。

 

 

今週のお題「私の好きなアイス」

 

大学生になって一人暮らしを始めてから、アイスを食べる機会がめっきり減った。

原因はおもにふたつ。一つは、私がケチだからだ。アイスとかお菓子とか、食べ物以外にも漫画など、実家にいたころは身近だったけど一人暮らしになってからあまり手を出さなくなったものが結構ある。実家にいたら親が買ってくれるから何も考えずに恩恵にあずかっていたが、必要なものを自分で買いに行く生活を始めると、こういったものは生活にマストではないと気づいたからだろう。レジに並んでお金を払うという行為を自分でやるとなると、アイスも漫画も贅沢のように感じてしまう。

 

この、「レジに並んでお金を払う」という行為は実はすごく大きな意味を持っているものだと私は最近考えるようになった。お金を払うという行為を経て何かを手に入れる、という段階を踏めば、節約しなきゃと感じるし、買ったものを最大限有効に、または大切に使おうという気がおきる。中学生の時、初めて交通系ICカードを使って、お金を使っている感のなさにびっくりしたのを覚えている。毎回わざわざ切符を買わなくても、事前にある程度まとまったお金をチャージしておけば、「ピッ」という音とともにスムーズに改札を通ることができる。すごく便利で今もそのカードを愛用しているが、そのうち切符の買い方も知らない、カードをかざせば当たり前のように電車に乗れるんだと思い込んでいる子供が出てきそうで怖い(笑)

だって、普段の買い物はケチなのに、ネットショッピングではやたら思い切りのいい自分がいたりする。昨日も思い切ってウイスキー買ってしまったし…きっと店頭ではとてもお酒に2000円近く払う気にはなれないだろう。クレジットカードの番号を打ち込めば買えるネット通販は恐ろしい。気を付けないと。

 

アイスをあまり食べなくなった理由二つ目は、私が今住んでいるアパートからスーパーとコンビニまでが遠いことだ。

アイスを食べたくなる季節というのはまあ今のような暑い季節なわけで、つまりアイスがすぐ溶けてしまうわけで、家の冷蔵庫に箱アイスとかストックしてみたいけど、まずスーパーから持って帰る途中に溶けてどろっどろの無残な姿になるだろう。夏場は肉などの生鮮食品ですら道中で傷まないか気を遣うから、アイスなんてもってのほかだ。

 

そんなこんなで、大学生になってからアイスを食べる機会はへったが、その分、暑い季節に実家に帰った時はいつも冷凍庫にアイスがあるのをいいことにたくさん食べることにしている。きっと私が一人暮らしで普段あまり食べていないのを知っていて、私が帰省するときには買い込んでくれているのだろうと思う。

 

 

お題の「好きなアイス」。

同じ学部の友達で、新歓で知り合って今までなんとなくずっと仲良くしている友達がいる。少しいい加減なところもあるけど部活の友達よりもノリや温度が自分と合ういい友達で、よく一緒にご飯を食べに行く。その友達とご飯を食べに行くと、季節は関係なくほぼ毎回決まって、食後にコンビニにアイスを買いに行く。コンビニでアイスなんて、普通に一人の時ならそんな贅沢なこと!と思うけど、食事の金額に比べたらアイスなんて微々たるものに感じてしまうし、特にがっつり系のご飯を食べた後の甘いアイスの美味しさを一度知ってしまうともう買わない選択はできない。そのときどきの気分によって買うアイスの味は違うけど、その友達とだらだらしゃべりながら、近くのコンビニに買いに行くという行為全体を含めて、美味しい。好きなアイスは、外食後のコンビニアイスだ。この美味しさやわくわくを教えてくれた友達には感謝が尽きない。

そういえばこの友達と今度、ナイトシアターを見に行く話をした。一人ではなかなかできない、知らなかった遊び方を教えてくれる。ありがとう。

社会人になる前に、たくさんご飯行って遊びに行こうね。

穏やかさは心の強さ

今週のお題「お父さん」

 

ここ1週間実家に帰省していて、昨日、下宿に帰ってきた。

1キロ太って。(笑)

実家に帰ると何かと食べ物を与えられて、少し肥えて帰ってくる。親はとにかく食べさせたいらしいというのは他の下宿生の友達の間でも共通認識で、ありがたいけれど年頃の女としては複雑。でも、出されたものを全部食べるのが親孝行なんだろうと思って結局全部食べるのだけど。

 

父の日に、ポロシャツをプレゼントした。

言い方は悪いけど、親へのプレゼントを選ぶのは楽っちゃ楽だ。何をあげても、親の好みに合わないものだったとしても、娘がプレゼントをくれるという事実にとりあえず喜んでくれるから。喜んでくれるという確信があるから、安心してプレゼントできる。そう思える私はきっと幸せなんだろう。

 

父を一言で表すのは難しい。

確実にいえるのは、穏やかな人であるということだ。

めったに怒らないし、感情的になったりしない。父が怒っている場面なんて、21年生きてきて片手で数えるほどしか見たことない気がする。

母は父とは割と反対で、感情の起伏が激しく、短気な質の人で、私は母のせっかちで短気なところに疲れることがよくあるのだけど、でもたぶん、父はそんな母のことが大好きだ。

母のことをどう思っているかとか、なれそめとか、詳しく聞いたことはないけど、父が自分と似ていない性格の母のことを大切に思っているのは、小さいころから父と母を見て感じていた。それは実家を出て、たまに帰省するだけになったいまも変わらない。

 

母のほうが頭の回転が速く性格もはっきりしているので、家の空気やその他もろもろの主導権を握っているのはなんとなく母だけど、それは穏やかな父がいるという前提があって成り立っていると私は思っている。

 

父の穏やかさは、特に、人にものを教えるときによくわかる。

私も妹も、学校の勉強で分からない部分があったとき、父や母にたまに聞いたりしていたけど、母に教えてもらっていると途中から喧嘩みたいになる。説明してもわからない私や妹に対して母はいらいらし、分からない側の気持ちに立ってくれない母に私や妹はいらいらする。

車の運転でもそうだ。私は学生の一人暮らしなので車は持っておらず、実家に帰省したときにたまーに運転するのだが、慣れていないので助手席に母か父に乗ってもらう。だが、正直母を助手席に乗せて運転するのは憂鬱だ。少し危ない場面になると私より先に大声を出し興奮して、怒り口調になる。これは初心者ドライバーからするとかなりしんどい。自分も不安を抱えて運転しているのに、自分より慣れているひとが先に大きな声を出したり慌てたりすると余計にこっちもパニックになる。そういう気持ちがわからない母は、教えてもらっている側の私が言うのもなんだけど、本当に「教える」ことに向いていない。

その点、父が助手席にいると安心感がすごい。決して慌てず、声を荒げたりしない。私が危なっかしい運転をしても、冷静に「もうちょっと~~して」「うんうん、それでOK」などと声をかけてくれる。父が助手席にいてくれたらいい意味で余裕をもって運転できるし、運転が少し楽しい。化学や数学でわからない問題を教えてほしいと頼んだ時も、最初の説明で私が理解できなかったら、腹を立てずに違う説明の仕方がないか考えてくれた。

父のそういう、「わからない」「できない」相手にいらいらせず、順を追って冷静に説明したり教えたりできるところを尊敬している。私も将来運転に慣れたら、初心者ドライバーに安心感を与えられる存在となって助手席に座りたい。

いつだったか、大学の授業か何かで、「穏やかさは心の強さ」という言葉をきいたのが印象に残っている。

 

父は決してイケメンではなく、エリートでもなく、おそらく仕事もそんなにできるタイプではない。ここ数年でビール腹が育って体型も崩れてきて、髪も薄くなって、順調におっさん化している。いびきもうるさいし、電気のつけっぱなしは何回言ってもなおらない。

でも、私も妹も、思春期の女の子にありがちな「お父さん生理的に無理」という時期は通らず、わりとずっと父とは仲良しで普通に話す。それはやっぱり、「かっこいいお父さん」ではなくても「いいお父さん」であることを分かっているからだと思う。たまに父にいらっとすることもあるけど、話すことも嫌、なんて状態にはならない。

 

かっこよくはないしおっさん要素は満載だけど、私が大学まで通えているのは父のおかげだ。

いつもありがとう。

お父さんが寂しがるのわかってて、県外の大学に進学して家を出てごめんね。

寂しがってるのわかってて、就職しても実家には帰らないって言ってごめんね。

お父さんみたいに、わからない人に対して優しくわかりやすく説明できる大人になれるように心がけます。

孫の顔見せるからね!なんて自信もって宣言はできないけど、お父さんみたいな優しい人をおじいちゃんと呼べるような子供がいたらいいなって思うから、お父さんにとってのお母さんみたいな人に出会えるように、できるだけ頑張るね(笑)

2か月ぶりの

以前、「いま会いたい人」というお題で、同じ研究室の同期の子のことを書いた。

週刊はてなブログで言及していただき、思ったよりも多くの人に読んでもらったようで、恥ずかしかったけど嬉しかった。ありがとうございました。

 

その同期の子を、ここではK君と呼びたいと思う。

今日から、長時間の滞在は禁止という条件付きながら、大学への立ち入りがほぼ全区域で許可された。つまり、研究室にも入れるようになった。

午前中に宅配便を指定していたので午前は家にいたのだけど、午後からは研究室に行こうと決めていた。

図書館に寄り、借りていた本を返却し、研究室に向かった。2か月ぶりの研究棟、長い廊下、その突き当りの部屋。いつもの部屋のドアのノブに手をかけたとき、少し緊張した。空いていればおそらくK君は来ている。鍵がかかっていれば来ていない。2か月前からいつもそうやってK君が来ているかどうか判断していた。

思い切ってドアを押すと、開いていた。

部屋をのぞくと、K君の姿はなかったけど、彼のリュックや文房具や参考書類が置いてあった。

K君も真っ先に来ていた。

思っている以上に自分がそのことを喜んでいて自分で驚いた。2か月ぶりに見るリュックがなんだかすごく嬉しかった。選んでいる椅子の場所や持ち物でK君が来ているとわかるくらいには、2か月前までほぼ毎日私とK君はその部屋を使う常連だった。

束の間のあと、K君が部屋に入ってきた。飲み物か何かを買いに行っていたらしい。

おお。とお互い言った。久しぶりだね、2か月ぶりだね。もう6月も半分だね。

少しそんな言葉を交わした後は、お互いの勉強などそれぞれのことをやって、無言の時間が続いた。

窓の外は明るくて、最後に来たときよりも太陽のエネルギーが強くなっている気がするし、見える緑も濃くなっていて、初夏であることを実感した。でも、K君が座る席も私が座る席も2か月前と同じで、大学立ち入り禁止の期間中はすごく長く感じたのに、本当に2か月も来てなかったっけ?と思った。

 

久しぶりに話したいな、と思いながら、K君は試験に向けて勉強しているし悪いかな、と思って話しかけなかった。でも、教授が帰り際に部屋に顔を出して、「学務にとがめられん程度の時間に帰れよ」と声をかけていったのがきっかけになって、結局その後小一時間、K君としゃべった。

この2か月何してたか。他の研究室のメンバーは何してるのか。卒論の進捗具合はどうか。K君の公務員試験の日程が延期になったこと。私の就職活動は終わったこと。最近よく散歩してること。大学受験のときの思い出話。今日久しぶりに新聞を読んだ話。最近蒸し暑いねという話。

春休みに入ったころはこの部屋は暖房つけてたのに今はもう冷房で、お互い半袖。

 

大した話はしなかったけど、その大したことなさが嬉しくて、懐かしかった。当たり前だけど、2か月前と同じで、K君は淡々と面白かった。

いや、当たり前じゃないんだよなきっと。

 

私が帰るとき、K君はもう少し勉強していく、と言っていた。

偉いなあ。

久しぶりに話せたのが嬉しくてつい話し込んでしまって、迷惑だったかなとまた後悔した。同じような反省をもう何度もしている。

私が今日K君と話せて嬉しかったのと同じような気持ちでK君もいてくれたらいいのに。

 

私の好きなMr.Childrenさんの曲で、「常套句」という歌があるのだけど、そのYouTube

のコメント欄の、いつか見た誰かの言葉がなぜか印象に残っている。

「世の中誰かに会いたいやつばっかりだな。会いたいけど会えないんだな、みんな」

 

今日は、会いたかった人に会えていい日だった。

傘の管理

今週のお題「傘」

 

私は物持ちがいいタイプであると自負している。

物持ちがいいというか、物に執着がないというか、物欲がないというか。

中学生のころからサイズが変わっていないのもあって、服や靴はもう6年近く使っているものもあるし、ポーチや財布、時計といった小物も一度買ったら数年は使う。壊れて使えなくなるまでは新しいのを買おうという気はあまり起こらない。

 

だがしかし、傘に関してだけは話が別だ。

なぜかは分からないが、私はよく傘を紛失するし傘を壊す。

長い傘か、折りたたみ傘かにかかわらず、傘はあまり長持ちした経験がない。

ぞんざいに扱っているつもりはないし、よく落とし物をするということもない。

強風で傘の骨が折れたり、どこかに置き忘れたりで、何かとよく新しいのを買っている気がする。大学生になったときに買った長い傘は今年の初めに無くした。3年間使っただけ私の中の傘歴では長い方だ。

問題なのはいつどこで無くしたのかさえわからないところだ。雨の日に傘が必要になったとき、やっと無くしたことに気づく。もはや痴呆である。

これだけ傘をなくしているので、私は将来自分で稼ぐようになってお金に余裕ができても、高い傘を買おうとは思わないだろう。傘の管理が下手な私には一本1000円程度の傘で十分だ。

何を言っても言い訳なのはわかっているが、言いたい。傘は必要な時にしか存在を思い出さないので、行きは降っていたのに帰りは止んでいるような状況だとどうしても忘れてしまう。そして忘れたこと自体にも気づかず、次に雨が降って傘が必要になったときにようやくどこかに置き忘れてきたことに気づく。傘も気の毒だ。雨が降っているときはあるのと無いのとでは雲泥の差なのに、晴れた途端存在を忘れられる。かわいそうに。

…言い訳なのはわかっている。

とにかく先日薬局で新しい傘を買ったので、次は長く使えるように頑張る。…大学卒業するくらいまでは使いたい。。

そのうち、傘とスマホを連携させて、置き忘れて帰ろうとしたらアラームが鳴るみたいなシステムが開発されるんじゃないかと予想してる。もしかしたらもう開発されてるのだろうか。私が思いつくことなんてきっと既に他の誰かが思いついていることだろうから。。

 

それにしても、先日同じバイトの子とも話したんだけど、折り畳み傘ってどうしてあんなに濡れるんだろうか。私がケチで質のいい折り畳み傘を使ったことがないというのもあるだろうが、普通の長い傘と折り畳み傘では防雨力に圧倒的に差があるような気がする。折りたたむ機能と引き換えに雨を防ぐ機能はある程度捨てなければならないのだろうか。

これ感じてるの私だけかな?(笑)

 

全然中身のない話になってしまってごめんなさい・・・

 

 

6/15 追記

昨日、友達と駅まで散歩してカフェに行った(帰ってからスマホ歩数計みたら18000歩だっや。おかげで今日足パンパン。)んだけど、またさっそく傘を置いていきかけた。例のごとく、来るときは降っていたけど帰りは止んでいたパターン。友達に「傘!」と言われなければ、私はつい先日買ったばかりの傘をまた無くしていたところだった。感謝でしかない。そして自分のうっかりさと阿保さにがっくりきた。つい数日前にここで書いたばっかじゃん。。

 

ちょっと遅れて、好きなお店

お題についての記事を書こうと思っていたら、ずいぶん遅くなってしまった。

遅ればせながら、好きなお店、お気に入りのお店について。

 

この特定のお店が!というのはあまりないのだけど、私はパン屋と本屋が好きだ。この店のこの商品が、とかではなく、本屋という空間、パン屋という空間が好きだ。

 

パン屋が好きな人は特に多いと思う。今日も、バイトに行く前に昼食のパンを買いに近所のパン屋さんに行った。日曜の朝ということもあり大盛況で、私は自分一人の昼ご飯なので3つしか買わなかったが、ほかのお客さんはおそらく家族の分も、トレイいっぱいに菓子パンやおかずのパンをたくさん載せていて、少し羨ましかった。学生で一人暮らしでなおかつ貧乏性な私はトレイいっぱいにパンを買う機会なんてないので、私も働き始めて経済的に余裕ができて、大量のいろんな種類のパンを一緒に食べてくれる家族ができたら、あんな風にトレイをパンで埋めてレジに持っていきたい。

 

パン屋も本屋も、その中にいるとなんだか満たされたような、幸せな気分になる。売っているものは違えど、その幸せな心地は、「誰かが手をかけて、時間をかけて作ったものが大量に並んでいる」というある種の贅沢さに起因しているように思う。本屋独特の紙とインクのにおいも、焼き立てのパンの匂いも、どっちも贅沢だ。

 

私は物心ついたときから本が好きだ。小学生の頃はほぼ毎日図書館に通って多読賞の常連だった。高校生になったあたりから、勉強や部活で忙しくなってなかなか読書に時間が割けなくなって、読む冊数は減ったけど、「今読んでいる本」がない状態というのは私のなかでは珍しい。このコロナ休みのおかげで、ここ数か月は大学生になってから最も読書にいそしんでいる。最近読んだのは瀬尾まいこさんの「そして、バトンは渡された」。本屋大賞をとった有名な本で、劇的でハラハラするような展開はないけど、じわじわほっこりきて、面白かった。

 

そう、好きな店、本屋の話だ。

当たり前だけど、本屋さんには様々なジャンルの、様々な作家の膨大な数の本がある。私は本好きと言っても、基本的には小説ばかり読んでいるし、好きな作者に偏っているので、読書家とは恥ずかしくて言えないし言う資格もない。だから、本屋にある本の殆どは私が読んだことのない本だ。そして、今後私が死ぬまで読書が好きで可能な限り本を読み続けても、私が生涯で読む本は本屋さんに並ぶ本のほんの一部にしかすぎない。本屋の中を歩きながらその事実を実感して、毎回、少し悲しくなって、でも嬉しくもなる。こんなに読んだことのない本があるなんて素敵だと思う。私はきっと一生、本当の意味で暇になんてならない。自分の知らない領域が山ほどあること、その知らない領域に全力をささげている人がこれまた山ほどいること。それは恐ろしさであり心強さでもある。本屋さんに本が山ほどあるうちは日本は大丈夫だな、なんて根拠のないことをふっと考えることもある。

有川浩さんの図書館戦争シリーズのなかに、「本を焼く国はいずれ人を焼く」という一節があったと思うのだけど、私はこの表現にとても共感している。

すべての人が本を好きなわけではないことはわかっている。SNSが普及して、限られた文字数や限られた時間の動画でいかに人を惹きつけるかに焦点が当てられがちになり、活字離れが嘆かれる現代、日ごろ本を全く読まないひとも多いんだろう。でも、その人自身が読書好きかどうかは別にして、本を読むという行為を、出版という営みを、本屋という存在を軽視するような人は、本だけでなくきっと人のことも大事にできないと私は思っている。私の考えに納得できない人も多いだろうけど、私はこれからも本を大事にする人間でありたいし、本を読むことで得られる何かがあると信じていたい。

 

なーんて、ちょっと真面目にえらそうに書いてしまったけど。

最近、電子書籍が広がっているみたいだけど、あれって実際に本で読むのに比べて目が疲れたりしないんだろうか?個人的には、本も漫画も「ページをめくる」という作業こみでの楽しみだとだと思っているので画面で本を読むのは抵抗があるのだけど、高校の時の英語の先生も電子書籍を愛用していると言っていたし、社会人になったら買いたいものリストのなかにKindleもいれておこうかな。

それにしても今日買ったカレーパン美味しかった。パンの中から豚の角煮がごろっと出てきたときの幸せといったら。。また買いに行こう。次はあのパン屋さんの名物のあんバターフランスも買いたいな。一個280円は安くはないけど、何かのご褒美に。

再会

 昨日、3か月ぶりくらいに会う友達と夕飯を食べに行った。

 同じ学部の同級生で、ある授業がきっかけで仲良くなって、今では泊まりでDVD鑑賞をする仲だ。あまり社交的ではない私が、たまたま授業で席が近かっただけの人とここまで仲良くなるのは珍しい。大学の人間関係がほぼ部活の人間関係とニアリーイコールになっている私にとって、貴重な、部活以外の友達の一人である。久しぶりに話をして、次また遊ぶ約束もして、おなか一杯食べて楽しかった。

 でも本題はそれではない。

 

 そのお店で友達と談笑しているとき、ふいに誰かに苗字を呼ばれて、顔を上げると、以前バイトで働いていた個人経営の居酒屋の奥さんがいた。ご主人である店長と、お孫さんたちとそのお店に外食に来ていたらしい。前後の席だったのに私は全く気付かなかった。

 驚いて、お久しぶりですと挨拶をすると、就職は決まった?と訊かれた。「なんとか無事に決まりました」「よかった。何の会社?」「建設会社です」「そうか、場所はまだわからんの?」「はい、配属が決まるのはまだ先なので」こんな感じの会話を交わした後、店長と奥さんたちは先に帰っていった。

 

 本当に驚いた。友達に今の誰?と訊かれて、前にバイトしてた居酒屋の店長と奥さん、と答え、その後も普通に友達と会話していたのだけど、内心はなんかこう、ずっと揺れていた。この気持ちをどう言葉にしたらいいんだろう。

 

 あんな風に普通に明るく、向こうから声をかけてくれたことに驚いた。

 私の顔と名前を、今年就活生だということを覚えてくれていたことに驚いた。

 私はその居酒屋のバイトを、逃げるようにやめたから。だいたい8か月前。

 そこは結構バイトの人手不足が深刻で、バイトの内容も覚えることが多く、週末は鬼のように忙しく、私は自分の要領の悪さや覚えの悪さといったいろんな至らなさを痛いほど実感した。自分と同時期にバイトを始めた年下の子のほうがよっぽど仕事ができたりして、自己嫌悪に陥っていた。労働時間が長くてきついこと、しかし人手不足でシフトにできる限り入らなければならないというプレッシャーのようなのようなものもあって、私はどんどんそのバイトが憂鬱になって、そして結局、できない自分をこれ以上思い知るのが辛くて、バイトをやめた。部活とかほかにやりたいことに時間を使いたいという、まったくの嘘ではない理由で。人手不足とわかっているのに申し訳なかったけど、正直、バイトをやめてからはかなり気持ちが楽になった。

 バイトをやめたいと申し出たとき、店長は特に咎めたり引き留めたりはしなかった。でも、店長や奥さんにや他のバイトのメンバーにどう思われたのかを考えると怖くて、バイトをやめた後は、その店の前を通るたびに少しドキドキしたり、店の中にいる店長や他のバイトの人と目が合わないように気を付けたりしていた。後ろめたさをずっと感じていた。

 そんな私にかかわらず、向こうから、笑顔で声をかけてくれた。いつから私がいることに気づいてたんだろう。名前を呼んで、進路を気にかけて。バイトしていたころとは髪型も違うし、バイト中は既定のポロシャツにバンダナだったから私服姿はぴんとこないはずなのに。

 どう説明したらいいんだろう。私はなんだか、恥ずかしかった。こそこそしていた自分が恥ずかしくて、すごく小さい奴みたいに思えた。使えないバイトのまま辞めた私は店長や奥さんと顔を合わせないように避けていたのに、私が迷惑をかけたその人たちは何のてらいもなく私に話しかけて、近況を気に掛ける言葉をくれた。私は、自分が恥ずかしくて情けなかった。何に対してかわからないけど、ごめんなさい、と思った。

 動揺したけど、ちゃんと私も笑顔であいさつできていたはずだ。店長と奥さんもお元気ですか、くらい聞けばよかった。今さら遅いけど。

 

 居酒屋でのバイトはしんどかったけど、オーダーをとったり料理を運んだりお客さんと話したり、という内容自体は好きだった。バイトを始めて間もないころ、お客さんに料理を提供する心構えとか、接客の基本とかを店長が話してくれるのが好きだった。バイトが終わった後に食べるまかないが本当に美味しくて大好きだった。どんなにバイト中にミスをしても、まかないを食べるときや最後に帰るときに挨拶をしたらいつも同じトーンで「はいよー」「お疲れ様、気を付けて」と言ってくれる店長と奥さんが好きだった。

 私は居酒屋のバイトが嫌いだったんじゃなくて、使えない駄目な自分が嫌いだった。

 あの時バイトを辞めずにもう少し頑張ってたら、今頃少しは使える戦力になれてたかなあ。自己嫌悪の気持ちも少しは薄らいでたかなあ。

 

 私にできることは、居酒屋のバイトをやめたことで余裕ができた時間を、精一杯有意義に過ごすことだろう。勉強でも遊びでも。

 大学を卒業するとき、挨拶に行ってもいいだろうか。行く勇気が出るだろうか。

 新型コロナの影響がどれくらい出ているのかわからないけど、これからもお店が繁盛して、店長と奥さんが元気でいてくれますように。

 

「遠くへ行きたい」 富山の思い出

今週のお題「遠くへ行きたい」

 

大学生になったら、日本のいろんなところに出かけてみたいと思っていた。

知らない土地を歩くのは楽しい。ショッピングは好きじゃないけど、旅行は好きだ。

行ってみたい場所はたくさんある。

あそこ行ってみたい、あそこも、って思ってるうちにもう大学4年生になってしまった。もっとたくさん出かければよかった。

北海道、新潟、仙台、金沢、長野、もう挙げだしたらキリがない。九州は高校生のときに福岡に1泊2日で親に連れられて行っただけなので、全部行ってみたい。卒業するまでにできるだけ行きたいなあ。

 

あんまり出かけられてないけど、大学生になってから行って楽しかったところも、たくさんある。

沖縄、長野、香川、広島、尾道。日本はどの土地も食べ物が美味しい。どこに行っても美味しいものが食べられるのは日本の最大の魅力だと思う。

 

どこも楽しかったけれど、一番思い出深いのは、3年生の夏休みにゼミの演習(という名目)で行った富山かな。とても濃い数日間だった。

 

まず、大阪までバスで行き、ネカフェでシャワーを浴びて時間をつぶしてから富山行きの夜行バスに乗った。大阪駅から徒歩でネカフェにたどり着くまでも大変だったし、初めて使うネカフェのせっまいシャワールームでキャリーケースを広げて格闘したのも思い出すと笑える。長距離バスはそれまでにも何度も利用していたけど、三列シートの夜行バスに乗ったのは初めてでちょっと興奮した。

 

私は富山駅がすごく好きだと思った。富山駅と言うよりは富山駅周辺、か。うまく説明できないけど、なんていうか、ごみごみしていなくて余裕がある。駅も改装されたばかりだったようで綺麗だし、路面電車も整ってて生活しやすそうだったから、富山にも住んでみたいなと思った。

 

夜行バスで富山についたその日は、ゼミの個人調査の取材のためにまず八尾に行き、その日の夜には五箇山に移動して、相倉集落にある合掌造りの民宿に泊まった。電車やバスでの移動時間が多かったけど、知らない土地で乗り物に乗るのは、外の景色を見ているだけで時間が過ぎるので苦にならない。

合掌造りの民宿で囲炉裏を囲んでご飯を食べたこと、久しぶりに広い湯船に浸かることができて嬉しかったこと、宿のオーナーのおばさんも寝た後の、静かな静かな夜の時間がしんみりしたこと。日本の中の富山の中の五箇山の小さな集落の民宿の畳の部屋に、その日初めて富山に来た私が一人で寝ているというのがすごく不思議な感じがした。

五箇山、綺麗だったなあ。

空の水色や木の緑という色が、すごく鮮やかに見えたのはなんでだったんだろう。

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雲が多くて綺麗さが伝わらなくて残念。。のどかで心洗われた集落でした。

 

そして、次の日は、ゼミのメンバーで集まって立山・黒部アルペンルートに行ってきた。

アルペンルート、本当に楽しかった。

アルペンルートに行く前日、ホテルの枕との相性が悪かったのかなんなのかわからないけど全然眠れなくて約1時間睡眠だったんだけど、景色の綺麗さと壮大さで眠気を感じるどころではなかった。ロープウェイとかケーブルカーとかいろんな乗り物に乗れるのも楽しい。

私のつたない文章力では伝わらない。ぜひ行ってみてほしい。

弥陀ヶ原も室堂も、移動中もとにかく景色がいい。普段スマホやパソコンとばかり向き合っている時間が恥ずかしいと感じたくらい、なんというか、手に負えない圧倒的なパワーと壮大さを見せつけられた。

 

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なんのアプリも入れていないスマホのカメラでこんな写真が撮れる。

山の天気は変わりやすい、というのも実感した。つい数秒前まで日が指していたのに、あっという間に雲が増えて暗くなる。その変化の早さも楽しかった。

 

そして何より、一番インパクト絶大だったのは、黒部ダム

もう、すごい。想像した以上の大きさだった。何時間でも見ていられると思った。

あれほどまでに大きいものはその存在だけで人を元気にしてくれる。黒部ダムのとてつもない大きさを前にすると、いい意味で(?)死にたくなった。自分がいかに小さくて無力かということを実感して途方に暮れるのと同時に、黒部ダムがこんなにでかいんだからちっさい私がうじうじしてても仕方ないという意味不明な開き直りもできる。そんな感じ。

そして、私が言うまでもなくもう飽きるほど皆が感じていて実際に言葉にもしていることだろうけど、やっぱり言いたい。

これを作った人の苦労は計り知れない。

陳腐だけど、本当にそう感じた。

黒部ダムは死にたくもなるけど、元気にもなれる場所だった。

 

もう一回行きたいな、アルペンルート。次は雪の大谷も見てみたい。

 

富山の思い出、もっと早く書けばよかった。忘れていることがたくさんありそうで、残念。

死ぬまでに北陸制覇したい。